前回、流域治水が国の方針になった、という大きな転換を見ました。今回は、その流域治水を、制度の言葉としてではなく、私たちの暮らしの言葉として、もう少しかみくだいてみたいと思います。
流域治水を、ひとことで言えば、「みんなで、水を受ける」という考え方です。これまで、水を防ぐのは、おもに川を管理する人びとの仕事でした。流域治水は、その仕事を、流域に住むみんなで、少しずつ分かち合おう、と呼びかけます。連載の最初に立てた「水は、誰のものか」という問いが、ここで、「水を防ぐのは、誰の仕事か」という、もうひとつの問いに、姿を変えて返ってきます。
川の中だけでは、守りきれない
これまでの治水の主役は、堤防とダムでした。川の中、あるいは川のすぐきわで、水をなんとか抑えこむ。その役目を担ってきたのは、国や自治体の、川を管理する人びとです。
この仕組みは、長く、私たちを守ってきました。けれど、第VI部・第VII部で見てきたように、想定を超える豪雨が増えるなかで、川の中の対策だけでは、守りきれない場面が出てきました。堤防をどこまでも高くするわけにはいきません。ダムにも、ためられる量に限りがあります。では、どうするか。流域治水の答えは、こうです。川の中で受けきれないのなら、流域ぜんたいで、少しずつ、水を受け持とう。降った雨が、いっぺんに川へ集まらないように、流域のあちこちで、雨を蓄え、しみこませ、あふれを受け止める。その小さな受け持ちを、たくさん集めれば、川の負担を、確かに減らせる、と。
三つの、受け持ち方
流域治水の中身は、おおまかに、三つの受け持ち方に分けて考えられています。
ひとつめは、雨水を、できるだけその場で、ためて、しみこませること。これは、第VII部で見た、森や田んぼや、町の小さな緑のはたらきです。流域のあちこちで雨を受け止めれば、川に集まる水のピークが、和らぎます。ふたつめは、あふれてしまう水に、行き場を用意しておくこと。第VI部・第VII部で見た、遊水地や、氾濫原や、あふれてよい場所の備えです。どうしても受けきれない水を、被害の小さい場所で、計画的に受け止める。みっつめは、それでも水が来てしまう場所では、被害を小さくする工夫をしておくこと。水につかりやすい土地の使い方を見直したり、いざというときに早く逃げられるようにしたり、ということです。
この三つを、川を管理する人だけでなく、自治体も、会社も、田畑を持つ人も、そして、家に住む一人ひとりも、それぞれの立場で、少しずつ担っていく。それが、流域治水の骨組みです。誰か一人が、すべてを背負うのではありません。流域に住む全員が、ほんの少しずつ、水を受け持つ。その積み重ねで、流域ぜんたいを守ろう、という考え方なのです。
水を防ぐのは、誰の仕事か
ここに、この連載をつらぬいてきた問いの、ひとつの帰り着く先があります。
第I部で、私たちは、こう問いました。水は、誰のものか、と。そして、流域のなかでは、水は誰のものでもなく、流域に住むみんなのものだ、という答えに、たどり着きました。流域治水は、その答えを、責任の側から言い直したものだと言えます。水が、みんなのものであるなら、その水から流域を守るのも、みんなの仕事だ、と。第IV部で見た、番水やかばたの暮らしを、思い出してみてください。水を使う者は、水を支える義務も負う。水路をさらい、堤を直し、上流が下流を気づかう。あの、水を分かち合う共同体の倫理が、流域治水という、現代の言葉のなかに、よみがえっているのです。
もちろん、これは、川の管理者の責任を、住民に押しつける話ではありません。堤防もダムも、これからも、専門家がしっかり担います。そのうえで、流域に住む私たちもまた、まったくの他人事として水害を眺めるのではなく、自分もこの流域の一員として、できる範囲で、水を受け持つ側に回る。第I部で語った「帰属」が、ここで、いちばん具体的な姿をとります。流域に帰属するとは、流域の水を、自分のこととして引き受けることだったのです。
分かち合いは、むずかしい
とはいえ、「みんなで水を受ける」ことは、口で言うほど、簡単ではありません。
水を受け持つということは、たいてい、誰かが、何かを少し我慢する、ということです。あふれてよい場所に選ばれた土地の人は、自分の田畑が水につかることを引き受けます。雨をためる施設をつくるには、お金も場所もいります。「みんなで」と言うとき、その負担を、どう公平に分かち合うか。誰かにだけ、しわ寄せがいかないようにできるか。ここが、流域治水の、いちばんむずかしいところです。第IV部の番水が、上流と下流のあいだで、執念深いほど細かく公平を期したことを、思い出してみてください。水を分かち合うことは、いつの時代も、共同体の知恵と、辛抱と、話し合いを必要とする、骨の折れる営みでした。流域治水もまた、技術である以上に、人と人とが、どう負担を分かち合えるか、という、社会の問いなのです。
流域治水とは何かが伝えるもの
流域治水という考え方は、私たちに、水を防ぐことの、新しい姿を見せてくれます。
それは、川の中だけでは守りきれない水を、流域ぜんたいで、みんなが少しずつ受け持つ、という発想。ためる、逃がす、備える、という三つの受け持ち方を、あらゆる立場の人が分かち合うこと。そして、それが、「水は誰のものか」という問いを、「水を守るのは誰の仕事か」へと深める、ということです。流域に帰属するとは、流域の水を、自分のこととして引き受けることでした。
次回は、その「自分のこととして引き受ける」を、もういちど、足もとの暮らしへと引き寄せます。あなたも、流域の住人です。それは、いったい、どんな気づきなのでしょうか。
参考にした資料
- 国土交通省「流域治水プロジェクト」 https://www.mlit.go.jp/river/kasen/ryuiki_hoan/
- 国土交通省「流域治水の基本的な考え方(ためる・流す・備える)」 https://www.mlit.go.jp/river/
- 岸由二『生きのびるための流域思考』(ちくまプリマー新書, 2021)
── この章は、蔵書「流域の人文誌」の一冊です。
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