小さな庭から、大きな流域へ。グリーンインフラという橋

第VII部の最後に、これまで見てきた「自然を生かす防災」という大きな流れと、もうひとつの蔵書「庭の人文誌」で見た、一軒の庭の小さな雨のくぼみとを、つないでみたいと思います。

その橋渡しをしてくれる言葉が、グリーンインフラです。自然の力を、社会の基盤として生かす、という考え方。じつは、この言葉のなかでは、手のひらほどの庭のくぼみと、国土ぜんたいの治水とが、同じひとつの思想の、両端として結ばれています。今回は、その「小さな庭から、大きな流域へ」という、スケールの橋を、たどってみます。

灰色の基盤から、緑の基盤へ

インフラ、つまり社会の基盤と聞いて、思い浮かぶのは何でしょうか。道路、橋、上下水道、堤防、ダム。たいていは、コンクリートや鉄でできた、人工の構造物です。これらを、灰色のインフラと呼ぶことは、前にも触れました。

グリーンインフラとは、これに対して、自然そのものを、社会の基盤として位置づけ直す考え方です。森が水を蓄える。湿地が洪水を和らげる。並木が夏の暑さを和らげ、土が雨をしみこませる。こうした自然のはたらきを、「あれば良いもの」ではなく、社会を支える、れっきとした基盤として、まじめに勘定に入れる。第VII部でずっと見てきた、Eco-DRRの考え方を、防災だけでなく、暮らし全体に広げたもの、と言ってもよいかもしれません。

そして、このグリーンインフラという考え方の、いちばん面白いところは、スケールを選ばない、という点です。国土ぜんたいの大きな自然から、町の小さな緑まで、同じひとつの発想で、つらぬくことができるのです。

いちばん小さな単位 ── 雨のくぼみ

グリーンインフラの、いちばん小さな単位は、どこにあるのでしょうか。それは、おどろくほど、私たちの暮らしの近くにあります。

もうひとつの蔵書「庭の人文誌」の終わりのほうで、ひとつの庭のかたちを見ました。屋根や地面に降った雨を、排水管へいっきに流し去るのではなく、植物を植えた浅いくぼみに、いったん受け止めて、ゆっくりと地中へしみこませる。そういう、雨と付き合う小さな庭です。これは、ごく小さな、けれども、れっきとしたグリーンインフラです。その小さなくぼみは、降った雨を、その場でいったん受け止めることで、いっぺんに川へ流れこむ水の量を、ほんの少し、減らします。

一軒分では、ささやかな働きです。けれど、もし、町じゅうの庭が、駐車場が、公園が、街路が、こうした小さな雨のくぼみを持ったとしたら、どうでしょう。一つひとつは小さくても、町ぜんたいでは、相当な量の雨を、その場で受け止め、地面に返すことになります。それは、川へ流れこむ水のピークを和らげ、第V部で見た都市型水害を、いくらか防ぐことにつながります。小さなくぼみの集まりが、町ぜんたいの治水の、一翼を担いはじめるのです。

いちばん小さな単位と、いちばん大きな単位

ここに、この連載と、もうひとつの蔵書とをつなぐ、大切な気づきがあります。

一軒の庭の、雨のくぼみ。これが、グリーンインフラの、いちばん小さな単位です。いっぽう、第VI部・第VII部で見てきた、流域ぜんたいで水を受け止める総合治水や、氾濫原を取り戻す試み。これが、グリーンインフラの、いちばん大きな単位です。そして、この二つは、別々のものではありません。「降った雨を、その場で受け止め、ゆっくり地面に返す」という、まったく同じ思想の、いちばん小さなあらわれと、いちばん大きなあらわれなのです。

第I部で見た、流域の入れ子構造を、思い出してみてください。手のひらほどの谷のくぼみと、大河の流域とが、同じかたちの相似形だ、という話でした。グリーンインフラの思想も、これと同じ入れ子になっています。庭の雨のくぼみから、町の緑、流域の湿地、国土の治水まで。スケールは、手のひらから国土まで、何段にもまたがります。けれど、底に流れている考え方は、ひとつです。水を、囲いこんで一気に流し去るのではなく、受け止め、しみこませ、ゆっくりと自然のめぐりに返す。第I部の冒頭で立てた「囲い込みの反転」が、ここで、いちばん具体的なかたちで、姿を現します。

水は、暮らしの形も育てる

この入れ子には、もうひとつの顔があります。水をこんなふうに扱うことは、ただ水の量を加減するだけでなく、暮らしの形そのものを、育ててもきたのです。

連載のはじめのほうで見た都江堰を、思い出してみてください。あの水利施設は、成都平原のすみずみに水路を行きわたらせ、森と田畑と家とが一体になった、林盤(りんぱん)という集落を、二千年かけて育てました。第IV部の針江のかばたも、そうでした。湧き水の通り道に沿って、台所のかたちまでが、組み立てられていました。水を受け止め、めぐりに返すという同じ思想は、災いを防ぐだけでなく、その土地ならではの暮らしのかたちを、静かに生み育てていく力でもあります。だとすれば、一軒の庭の、雨のくぼみもまた、新しい暮らしのかたちへ向かう、いちばん小さな最初の一歩なのかもしれません。

ひとつの思想が、生まれた

この「小さな庭から大きな流域へ」という考え方は、特定の誰かのものでも、特定の場所のものでもありません。世界の各地で、また日本でも、二十一世紀に入るころから、こうした考え方が、しだいに言葉を得て、育ってきました。

大切なのは、ここで、ひとつの思想が生まれた、ということです。雨を、やっかいなものとして、できるだけ速く排除する、という近代の発想から、雨を、めぐみとして、できるだけその場で受け止め、地面に返す、という発想へ。そして、その発想が、庭という最小の単位から、国土という最大の単位まで、ひとつながりに貫けるのだ、という気づきへ。この思想が、いま、世界のあちこちで、芽吹いています。それぞれの人が、それぞれの場所で、自分の手の届く範囲から、この大きなめぐりに参加できる。そういう思想として。

グリーンインフラが伝えるもの

グリーンインフラという橋は、私たちに、小さな庭と大きな流域とが、地続きであることを見せてくれます。

それは、自然そのものを社会の基盤として位置づける、という発想。一軒の庭の雨のくぼみが、グリーンインフラのいちばん小さな単位であり、流域ぜんたいの治水が、いちばん大きな単位であること。そして、その二つが、「水を受け止め、地面に返す」という、同じひとつの思想で、入れ子につながっているということです。庭の囲い込みの反転は、流域の囲い込みの反転と、地続きでした。

さて、思想も、実践も、出そろいました。次の第VIII部では、いよいよ、この連載の——そして、もうひとつの蔵書とあわせた、長い旅の——結びに向かいます。これまで見てきた流れが、いま、国の言葉になり、私たちの暮らしの足もとへと、帰ってくる。流域治水と、いのちのめぐりの物語です。


参考にした資料


── この章は、蔵書「流域の人文誌」の一冊です。

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