田んぼが、湿地にかえる。蕪栗沼とふゆみずたんぼ

前回は、特別な遊水地を、湿地によみがえらせる試みを見ました。今回は、もっと身近な場所——人びとが米をつくってきた、ふつうの田んぼ——が、湿地によみがえる物語です。

舞台は、宮城県の北部にある、蕪栗沼(かぶくりぬま)と、その周りの水田です。ここでは、農業と、防災と、生き物の保全とが、対立するどころか、ひとつに重なり合っています。第V部で立てた「安全と豊かさは両立しないのか」という問いに、この土地は、田んぼという、ありふれた風景から答えを返してくれます。

沼と、田んぼと、渡り鳥

蕪栗沼は、それほど大きくない沼です。けれど、この沼は、渡り鳥たちにとって、かけがえのない場所でした。

冬になると、はるか北のシベリアなどから、マガンという雁の仲間が、海を越えて、この沼にやってきます。ねぐらとして夜を過ごす沼と、昼に餌をついばむ周りの田んぼ。その二つがそろっていることで、蕪栗沼は、たくさんのマガンが冬を越せる、国内有数の越冬地になっていました。日本で越冬するマガンの大半が、この宮城県北部の一帯に集まる、と言われるほどです。沼と田んぼという、人の暮らしのすぐそばの風景が、国境を越えて旅する鳥たちの、命綱になっていたのです。

ところが、ねぐらとなる沼に、たくさんの鳥が集まりすぎることには、心配もありました。一か所に集中しすぎると、もし病気が広がったときに、いっぺんに大きな打撃を受けかねません。鳥たちの「ねぐら」を、もっと分散させられないか。その答えが、まわりの田んぼにありました。

冬の田んぼに、水を張る

そこで広がったのが、ふゆみずたんぼ、漢字で書けば「冬水田んぼ」と呼ばれる、農法です。

ふつう、稲を刈り取ったあとの田んぼは、冬のあいだ、水を抜いて、乾かしておきます。ふゆみずたんぼは、その常識を変えて、あえて、冬のあいだも田んぼに水を張っておくのです。すると、どうなるか。水を張った冬の田んぼは、浅い水たまり——つまり、小さな湿地——になります。その湿地が、マガンたちの新しいねぐらになりました。沼だけに集中していた鳥たちが、まわりの田んぼへと、ねぐらを分散させられるようになったのです。

けれど、ふゆみずたんぼの恵みは、鳥のためだけではありませんでした。冬に水を張った田んぼでは、土のなかや水のなかで、たくさんの小さな生き物が育ちます。イトミミズや、微生物たちが働いて、土が豊かになります。渡り鳥たちが落としていく糞も、田んぼの養分になります。そうして育った豊かな土は、次の年の米づくりを助けます。農薬や化学肥料に頼る量を減らせる田んぼも出てきました。鳥のためにと始めたことが、めぐりめぐって、米づくりそのものを豊かにする。生き物の保全と、農業とが、対立せずに、たがいを支え合う関係になったのです。

農業湿地という、第三の道

この蕪栗沼と周りの田んぼは、その価値が認められ、国際的に重要な湿地を守るための条約——ラムサール条約——に登録されました。しかも、人がふつうに米をつくっている田んぼを含めて、まるごと、です。これは、当時としては、画期的なことでした。

なぜ画期的だったのか。それまで、自然を守るというと、人の手の入らない、原生の自然を守ることだと考えられがちでした。けれど蕪栗沼が示したのは、人が米をつくり、暮らしを営んでいる田んぼそのものが、守るべき豊かな湿地になりうる、ということです。手つかずの自然でもなく、自然を壊す開発でもない。人の営みと、生き物の暮らしとが、重なり合う場所。いわば、農業湿地という、第三の道です。

ここで、姉の蔵書「庭の人文誌」で見たことを、思い出してみてください。庭と農の境が溶ける、という話がありました。耕し、育てる人の営みが、そのまま、生き物のにぎわう場になる、という、これからの庭のかたちです。ふゆみずたんぼは、その流域版です。米をつくるという、もっとも人間的な営みが、渡り鳥を養い、湿地をよみがえらせる。食べることと、生き物を生かすことが、一枚の田んぼの上で、ひとつになっているのです。

本物かどうかは、続いているかどうか

ひとつ、書き添えておきたいことがあります。ふゆみずたんぼのような取り組みが「本物」であるのは、見た目が自然に近いからではなく、そこに、長く続く仕組みと、人びとの協働があるからです。

蕪栗沼の取り組みは、ある日とつぜん、行政が決めたものではありません。地元の農家、研究者、行政、市民が、長い時間をかけて、話し合い、試み、続けてきたものです。冬に水を張れば、農家には手間も増えます。その手間を、米のブランド化などで支え、続けられる仕組みにしていく。続いているからこそ、渡り鳥は毎年帰ってこられるし、湿地は湿地でいられます。自然を生かした取り組みのなかには、見た目だけ自然らしく見せて、中身のともなわないものも、残念ながらあります。蕪栗沼が信頼できるのは、長い年月のあいだ、実際に鳥が増え、人が関わりつづけてきた、その積み重ねがあるからです。

田んぼが湿地にかえるが伝えるもの

蕪栗沼とふゆみずたんぼは、私たちに、暮らしのなかの自然再生を見せてくれます。

それは、沼と田んぼが、国境を越える渡り鳥の命綱になっていること。冬に水を張る田んぼが、湿地によみがえり、鳥を養い、めぐりめぐって米づくりをも豊かにすること。そして、人が営む田んぼそのものが、守るべき湿地になりうるという、農業湿地の発想です。安全と豊かさは両立しないのか、という問いに、この土地は、農と自然が支え合う、第三の道で答えています。

第VII部も、次が最後の回です。次回は、これまで見てきた「自然を生かす」という大きな流れと、姉の蔵書「庭の人文誌」で見た、一軒の庭の小さな雨のくぼみとを、つなぎます。グリーンインフラという、小さな庭と大きな流域を架ける、ひとつの考え方です。


参考にした資料


── この章は、蔵書「流域の人文誌」の一冊です。

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