自然を防災の味方にする。Eco-DRRという考え方

第VI部で、流域思考という「世界の見方」が出そろいました。第VII部では、その見方がいまどんな実践として形になりつつあるのかを見ていきます。

主題は、自然の力そのものを防災に生かす、という考え方です。コンクリートで自然をねじ伏せる代わりに、湿地や森や干潟といった生態系のはたらきを、災害に備える味方にする。Eco-DRR(エコ・ディーアールアール)、生態系を活用した防災・減災と呼ばれる、新しい防災の発想です。

自然は災害を和らげている

まず、ひとつの事実から始めましょう。自然の生態系は、意識されないところで私たちを災害から守っています。

森を思い浮かべてみてください。木々が茂る山は、降った雨を土と根のあいだにいったん蓄えます。雨水は地面を一気に走らず、ゆっくりしみこみ、時間をかけて川へ出ていきます。森は天然の巨大なスポンジなのです。湿地もそうです。川沿いの湿地や低地の沼は、増水した水を一時的にためこみ、洪水の勢いを和らげます。海辺では、マングローブの林や砂浜の後ろの林が、高潮や津波の力をいくぶん受け止めます。どれも人が造った施設とは違い、もともとそこにある自然が、ただそこにあることで果たしている防災のはたらきです。

第V部で見た近代の治水は、こうした自然のはたらきを主役にはしませんでした。森を切り、湿地を埋め、そのかわりに堤防とダムという人工の構造物で水を抑えこもうとしたのです。コンクリートの構造物を、灰色のインフラと呼ぶことがあります。Eco-DRRは、それに対して自然そのものが持つ防災力、つまり緑のインフラを、もう一度まじめに評価し直そうとする考え方です。

「自然に任せれば安全」ではない

ここで大切な注意がひとつあります。Eco-DRRは、「自然に任せておけば安全だ」というおおざっぱな自然賛美とは違います。

森や湿地の防災力には、おのずと限界があります。森があっても、豪雨が強ければ洪水は起きます。マングローブがあっても、大きな津波は林を越えてきます。自然のはたらきを過信して人工の備えをすべて捨てれば、かえって危険です。Eco-DRRが目指すのは、自然と人工の組み合わせです。自然の防災力をできるかぎり生かし、足りないところを人工の構造物で補う。灰色と緑を対立させずに組み合わせる。この「ハイブリッド」、両者を組み合わせる考え方が、Eco-DRRの大きな特徴です。

言いかえれば、「自然の機能を設計のなかに組み込む」という発想です。森や湿地をなんとなく大切にしましょう、という心がけの話とは別物です。森がどれだけの水を蓄えられるか、湿地がどれだけ洪水を和らげられるかを、できるだけ具体的に見積もる。そのうえで防災の計画のなかにはっきり位置づける。自然を情緒の対象としてでなく、機能を持つ社会の基盤として勘定に入れる。そこにこの考え方の新しさがあります。

なぜいま見直されるのか

では、なぜいまになって、自然の防災力が見直されているのでしょうか。理由はいくつか重なっています。

ひとつは、前回見た気候の変動です。想定を超える豪雨が増えるなかで、堤防やダムを高くしつづけるやり方だけでは追いつかなくなってきました。際限がなく、費用もかさむのです。コンクリートだけに頼る防災の限界が見えてきました。もうひとつは人口の減少です。これから日本では、人の住まない土地が増えていきます。かつて無理をして守ってきた低地のなかには、人が退いて自然に返していける場所も出てきます。自然に水を受け持ってもらう「余地」が生まれつつあるのです。三つめに、自然を守ることの「一石で何鳥にもなる」価値が見直されてきました。防災になり、同時に生き物のすみかを取り戻し、人の憩いの場を生み、暮らしを豊かにするからです。

第V部の終わりで、私たちはひとつの問いを立てました。安全と豊かさは両立しないのか、と。Eco-DRRは、その問いへの現代からの答えのひとつです。自然の力を防災に生かせば、安全をつくることがそのまま生き物の豊かさを育てることにもなる。二者択一だと思われていたものを両立させる道が、ここにひらかれます。

Eco-DRRが伝えるもの

Eco-DRRという考え方は、防災のもうひとつの選択肢を見せてくれます。

まず、森や湿地や干潟がもともと防災のはたらきを担っている、という事実。次に、その緑のインフラを灰色のインフラと組み合わせて使う発想。そして、自然の機能を社会の基盤として設計に組み込む姿勢です。自然を支配する近代の治水から、自然と共に働く治水へ。大きな方向転換のはじまりでした。


参考にした資料


── この章は、本棚「流域の人文誌」の一冊です。

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