流域思考を、抽象的な理念から、現実の川の物語へと引き降ろしてみます。舞台は、東京と横浜にまたがって流れる、鶴見川です。
この川は、流域思考が、机の上の理屈ではなく、実際の都市と暮らしを動かしてきたことの、生きた証拠です。かつて「暴れ川」として人びとを苦しめたこの川が、流域全体をひとつの単位として捉え直すことで、どのように治められ、人びとの手に取り戻されていったのか。今回は、その歩みをたどります。
都市のなかの、暴れ川
鶴見川は、全長およそ42.5キロメートル、流域の面積はおよそ235平方キロメートルの、けっして大きくはない川です。東京都町田市の丘陵に源を発し、川崎市や横浜市の市街地を抜けて、東京湾へ注ぎます。
この川は、長く、水害に苦しんできました。記録をたどれば、1938年の大水害では、川沿いの桃の産地が壊滅したと伝えられます。戦後も、1958年、1966年と、台風のたびに、何万という家屋が水に浸かりました。なぜ、これほど水害が多かったのか。理由は、川そのものよりも、流域の変化にありました。高度経済成長期、鶴見川の流域は、東京近郊のベッドタウンとして、爆発的に宅地化されたのです。第V部で見たことが、ここでも起きました。雨をしみこませていた丘陵の森や田畑が、住宅と舗装に変わり、雨が一気に川へ流れこむようになった。川の流量は、人の暮らしの変化に応じて、危険なほど暴れやすくなっていったのです。
川だけ見ていては、治まらない
ここで、ひとつの発想の転換が起こります。鶴見川の水害は、川の中だけを見ていても、解決しない、という認識です。
水害の原因が、流域全体の宅地化にあるのなら、対策もまた、流域全体で考えなければなりません。川幅を広げ、堤防を高くするだけでは、追いつかない。流域に降った雨が、いっぺんに川へ来ないように、流域そのものに、水を一時的にためたり、しみこませたりする力を、取り戻す必要がある。こうして、1980年、鶴見川は、総合治水対策の対象河川のひとつになりました。
総合治水とは、川の工事だけに頼らず、流域全体で水を受け止める、という考え方です。具体的には、学校の校庭や公園に、大雨のとき一時的に水をためる調整池の働きを持たせる。新しい開発をするときには、雨水をためる池や、地下にしみこませる施設をつくることを求める。森や農地の保水力を、できるだけ残す。川という「線」だけでなく、流域という「面」の全体で、水を分担して受け持つのです。これは、まさに流域思考を、治水の政策として形にしたものでした。川を、流域から切り離された一本の水路としてではなく、流域という大きな体の血管として捉え直す。第I部で見た見方の転換が、ここでは、何百万人もの暮らしを守る、具体的な仕組みになっていたのです。
スタジアムの下に、水をためる
この流域治水の考え方を、もっとも象徴的に見せてくれる場所があります。鶴見川の中流にある、多目的遊水地です。2003年から働きはじめました。
ここには、サッカーやラグビーの国際試合が開かれる、大きなスタジアムが建っています。日産スタジアム、かつてサッカーのワールドカップの決勝も行われた競技場です。そして、その一帯——スタジアムや、まわりの公園——は、大雨のときには、鶴見川の増水した水を引き込んで、一時的にためるための、巨大な水のうつわになるように造られています。
ふだんは、何万人もの観客が試合に沸き、人びとが芝生でくつろぐ公園。それが、川が危険な水位に達したときには、あふれる前の水を受け止める、遊水地に変わる。ひとつの土地が、晴れの日には人びとの賑わいの場であり、嵐の日には水のための場になる。これは、第V部で見た「あふれてよい場所をなくしていく」近代治水とは、逆向きの発想です。あふれてよい場所を、都市のまんなかに、計画的につくっておく。信玄堤に代表される、あふれを織りこむ古い知恵が、現代の都市で、スタジアムというかたちでよみがえった、と言ってもよいかもしれません。水と暮らしを、壁で分けるのではなく、時間で重ねる。同じ場所を、ふだんと非常時とで、使い分けるのです。
市民が、流域を担う
そして、鶴見川の物語には、もうひとつ、欠かせない登場人物がいます。行政でも、専門家でもなく、流域に暮らす市民たちです。
1991年、鶴見川の流域では、流域のことを流域として考え、行動しようとする市民のネットワークが生まれました。川の源流から河口までを、ひとつの「流域」として捉え、水質を調べ、生き物を観察し、清掃を行い、流域の未来を、行政とともに話し合う。こうした市民の活動が、鶴見川の流域治水を、下から支えてきました。流域思考は、ここで、専門家の理論であることをやめ、流域に住む人びと自身の、暮らしの作法になっていきました。
岸由二も、この市民の流れのなかで、長く活動してきたひとりです。けれど、大切なのは、岸という個人の功績ではありません。流域思考が、ひとりの頭のなかではなく、何千人もの市民の手と足によって、現実の川を変えてきた、ということです。思想は、それを生きる人びとがいて、はじめて、世界を動かします。鶴見川は、その証拠なのです。
鶴見川が伝えるもの
鶴見川の物語は、私たちに、流域思考が現実を動かす姿を見せてくれます。
それは、川の水害が、流域全体の変化から生まれること。だから、川だけでなく、流域という面の全体で水を受け止める、総合治水という発想が育ったこと。スタジアムの下に水をためるように、あふれてよい場所を都市に計画的につくる知恵。そして、その流域治水を、市民自身が担ってきた、ということです。流域思考は、ここで、理念から、何百万人もの暮らしを守る現実の仕組みへと、姿を変えました。
次回は、舞台を、都市の大河から、小さな谷へと移します。源流の森から海まで、ひとつの流域がまるごと残された、稀有な場所。三浦半島の小網代の森の物語です。流域を「治める」話から、流域を「まるごと残す」話へ。
参考にした資料
- 国土交通省 京浜河川事務所「鶴見川の概要」 https://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/keihin_index018.html
- 国土交通省「鶴見川多目的遊水地」 https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/infratourism/infralist/kanagawa/index03.html
- 鶴見川流域ネットワーキング(TRネット) http://www.tr-net.gr.jp/
- 岸由二『生きのびるための流域思考』(ちくまプリマー新書, 2021)
── この章は、蔵書「流域の人文誌」の一冊です。
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