第V部で、私たちは、近代の治水が川と人とを引き離していった道のりを見ました。ここから第VI部では、その流れに、別の問いを立てた人びとの系譜をたどります。流域を、ただの地理ではなく、世界を見るための「ものさし」として捉え直す。流域思考と呼ばれる、考え方の誕生です。
この考え方を、日本で粘り強く育ててきた人に、岸由二という生態学者がいます。これまでの回でも、たびたびその言葉を借りてきました。ただ、はじめにお断りしておきます。この第VI部は、ひとりの偉人をたたえる伝記ではありません。流域思考という考え方が、どこから来て、どこへ向かうのか。その思想の流れをたどる、という姿勢で書いていきます。
進化生態学という、出発点
岸由二は、1947年に東京で生まれた、進化生態学者です。長く大学で教えてきた研究者であり、いっぽうで、ダーウィン以来の進化論を一般に広めた本の翻訳者としても知られています。リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の訳者のひとりに、その名があります。
なぜ、この経歴から話を始めるかというと、流域思考の土台に、この進化生態学のまなざしがあるからです。進化生態学は、生き物を、長い時間のなかで捉えます。いまそこにいる一匹の虫も、一本の木も、何万年、何百万年という時間をかけて、環境とやりとりしながら、いまの姿になりました。生命とは、固定したものではなく、たえず動き、移り変わってきたものだ——そう見る学問です。
このまなざしを、土地に向けるとどうなるでしょうか。土地もまた、固定した区画ではなく、水や生命が動きつづける、生きた場として見えてきます。行政の地図は、土地を、動かない四角い区画の集まりとして描きます。けれど進化生態学者の目には、土地は、水が流れ、生き物が行き交い、長い時間をかけて形を変えてきた、動的なものとして映る。岸が、住所の区画に違和感をおぼえ、流域という「動く土地」の単位に惹かれていったことの根には、この学問のまなざしがあったと考えられます。
五度の水害という、原体験
思想は、頭のなかだけで生まれるものではありません。岸の流域への関心の根には、身をもって水を知った、原体験があったと、本人が語っています。
岸は、子ども時代から青年期にかけて、1958年の狩野川台風をはじめ、1982年までに、計五度もの大水害を体験しています。なかでも、自分の住む街が床上まで水に浸かった、あの瞬間を、本人はいまも鮮明に思い出せると語っています。水が、暮らしを呑む。その光景を、抽象的な知識としてではなく、身体の記憶として持っていた。これは、机の上で流域を論じる人とは、出発点が違います。岸にとって水は、まず、おそろしくも生々しい、現実の力でした。
のちに岸は、自分の住む場所を行政の住所で言いあらわすことに、強い違和感をおぼえた、と語っています。第I部で紹介した、あの「住所の言い換え」の挿話です。なぜ違和感だったのか。おそらく、水害を肌で知る者にとって、自分の土地が、川や、丘や、水の流れと切り離せないものだったからでしょう。何市何丁目という区画は、その水とのつながりを、きれいに消してしまう。岸が求めたのは、自分が水のどんな流れのなかに立っているのかを、ありのままに言いあらわす言葉でした。それが、流域だったのです。
学問と、現場のあいだ
岸由二という人を特徴づけるのは、研究室の学者でありながら、同時に、泥に足を踏み入れる実践者でもあった、という二重性です。
彼は、論文を書くだけでは終わりませんでした。後の回で見るように、地元の鶴見川という都市河川の再生に市民として深くかかわり、三浦半島の小網代の谷を、開発から守る運動の先頭に立ちました。流域を、論じるだけでなく、歩き、測り、守る。この、学問と現場を行き来する姿勢が、流域思考を、机上の理論ではなく、暮らしに根ざした実践の思想にしました。
ここには、姉の蔵書「庭の人文誌」で見た、ある人たちの面影が重なります。土に手を入れながら考えた、現代の庭の実践者たちです。観察し、手を動かし、その手ごたえから思想を立ち上げていく。岸の流域思考も、同じ系譜にあります。頭で考えた地図ではなく、足で歩いた土地から、考え方が立ち上がってくる。だからこそ、その言葉は、読む人の足もとにも、届くのだと思います。
進化生態学者が伝えるもの
川に降りた生態学者の歩みは、私たちに、流域思考の出発点を見せてくれます。
それは、生命を長い時間のなかで動くものとして見る、進化生態学のまなざし。そのまなざしが、土地を、固定した区画ではなく、水と生命の動く場として捉え直したこと。そして、水害という身体の記憶と、学問と現場を行き来する実践が、その思想を地に足のついたものにした、ということです。流域思考は、抽象的なエコロジーの理論としてではなく、ひとりの人間が、自分はどこに立っているのか、と問うところから生まれました。
とはいえ、流域を単位に世界を見る、という発想そのものは、岸ひとりの発明ではありません。地球の反対側にも、よく似た考えを育てた人びとがいました。次回は、流域思考の、海の向こうの源流をたどります。バイオリージョナリズム、生命地域主義と呼ばれる思想です。
参考にした資料
- 岸由二『生きのびるための流域思考』(ちくまプリマー新書, 2021)
- 岸由二『「流域地図」の作り方 ── 川から地球を考える』(ちくまプリマー新書, 2013)
- リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』(日高敏隆・岸由二ほか訳, 紀伊國屋書店)
- YAMAP MAGAZINE「流域の観点で、足もとから雨降る地球の大地をとらえなおす」(岸由二インタビュー) https://yamap.com/magazine/55224
── この章は、蔵書「流域の人文誌」の一冊です。
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