第V部の最後に、近代の治水と引き換えに失われたものの正体を、見きわめておきたいと思います。それは、景色や情緒だけの話ではありません。ひとつの生態系の「型」が、まるごと消えようとしている、という話です。
その生態系の名を、氾濫原(はんらんげん)といいます。聞き慣れない言葉かもしれません。けれど、これこそが、川と陸のあいだにあって、おどろくほど豊かないのちを育んでいた、忘れられた世界の名前です。
氾濫原とは何か
氾濫原とは、川の両側に広がる、ふだんは陸だけれど、洪水のときには水に浸かる、低い土地のことです。
川は、毎年、あるいは数年に一度、あふれます。あふれた水は、両岸の低地に広がり、しばらく滞留して、やがて引いていきます。この、水に浸かったり、乾いたりをくり返す帯状の土地が、氾濫原です。ここには、独特の環境が生まれます。浅い水たまり、湿った草地、季節によって現れたり消えたりする池。水位が、年のうちでも、年によっても、たえず揺れ動く。この「揺らぎ」こそが、氾濫原の本質です。
そして、この揺らぎに合わせて生きる、たくさんの生き物がいました。増水のときに川から入りこみ、静かな水たまりで卵を産む魚たち。水が引いてできる湿地で育つ、水生の昆虫。それらを餌にする、鳥たち。一年じゅう同じ場所が、あるときは川になり、あるときは草地になる。その変化のリズムそのものに、いのちの暮らしが、ぴたりと噛み合っていたのです。氾濫は、これらの生き物にとって、災害ではなく、暮らしの前提でした。
揺らぎが、消える
連続堤と三面張りは、この「揺らぎ」を、消し去りました。
堤防で川を締め切れば、あふれは起きません。あふれが起きなければ、両岸の低地は、二度と水に浸からない、ただの乾いた土地になります。そこは、田になり、宅地になり、工場になりました。かつて水たまりだった場所は埋め立てられ、湿地は乾き、季節ごとに現れていた池は、地図から消えました。氾濫原は、人にとっては安全な土地に変わり、生き物にとっては、暮らしの場が丸ごと失われたのです。
川そのものの内側も、変わりました。三面張りの川には、増水のときに魚が逃げこむ浅瀬も、卵を産むよどみも、ありません。水位の揺らぎに合わせて生きてきた魚たちは、行き場をなくしました。日本の川や水辺から、メダカやタナゴをはじめ、多くの身近な生き物が姿を消し、あるいは数を減らしていったことの、大きな理由のひとつが、ここにあります。生き物たちは、汚染だけで減ったのではありません。理由は、いくつも重なっています。ひとつは、いま見た、暮らす場所そのもの——揺らぎのある水辺——が、なくなったこと。汚染がきれいになっても生き物が戻ってこないのは、これが大きいのです。そして、もうひとつ。人が、よその水域から持ちこみ、放った生き物の働きもあります。池や川がつながり、人や物の行き来がふえるなかで、もともとその土地にいなかった魚やザリガニが、在来の生き物の場所を奪うことも、起きてきました。ここで、特定の生き物を悪者にして、退治を呼びかけるのは、たやすい近道です。けれど、運んだのは、いつも人でした。だから見ておきたいのは、種の善し悪しよりも、人がつないでしまった水のつながりが、土地ごとにちがっていた生き物の組み合わせを、少しずつ似た顔へと、ならしていく、という構造のほうです。
いつの自然を、取り戻すのか
ここで、ひとつ、立ち止まっておきたいことがあります。「失われた」と言うとき、私たちは、いつの状態を基準にしているのでしょうか。
人には、おもしろい癖があります。自分が子どものころに見た景色を、つい「もともとの自然」と思いこんでしまうのです。けれど、その景色も、よく調べると、すでに親の代、祖父母の代に、一度も二度も姿を変えたあとの姿かもしれません。すると、世代が下るたびに、「あたりまえ」の基準が、少しずつ下がっていきます。ひとつ前の世代の喪失が、次の世代には、最初からの風景に見えてしまう。研究者は、この、基準がしらずしらず下がっていく現象に、注意をうながしてきました。これは、誰かを責めるための話でも、「昔はよかった」という懐かしみの話でもありません。むしろ逆です。私たちが取り戻したい自然は、いつの自然なのか——その基準を、思いこみではなく、自分で選びとる。古い地図をひらき、年配の人の記憶を聞き、土地の来歴をたどってみる。基準は、与えられるものではなく、選べるものなのです。氾濫原の話も、そうでした。「もとに戻す」と言うとき、その「もと」が、いつの、どんな姿なのかを、私たちは、あらためて問いなおすことになります。
安全と豊かさは、両立しないのか
ここで、私たちは、ひとつの厳しい問いに突きあたります。人の安全と、川の豊かさは、両立しないのでしょうか。
近代の治水の論理では、両立しませんでした。あふれを止めることが、人を守ることであり、あふれを止めることが、生態系を壊すことでした。同じ一つの行いが、片方を救い、片方を損なう。だから、長いあいだ、治水と自然保護は、対立するものと考えられてきました。堤防を高くするか、生き物を守るか。安全をとるか、豊かさをとるか。二者択一の問いとして。
けれど、本当に、それしかないのでしょうか。第II部で見た、信玄堤に代表される、締め切らない堤(霞堤)の知恵を思い出してみてください。あれは、「あふれてよい場所」を決めておくことで、守るべき場所の安全と、あふれによる土地の豊かさを、両立させようとした知恵でした。あふれを、全面的に止めるのでも、無秩序に許すのでもなく、場所を選んで受け入れる。もし、その古い知恵を、現代の科学で、もう一度組み立て直せたら——。安全か豊かさかではなく、安全も豊かさも、を目指す道が、見えてくるかもしれません。
第V部が伝えるもの
近代の治水がたどった道は、私たちに、ひとつの時代の総決算を見せてくれます。
川を締め切り、ダムでせき止め、コンクリートで固める。その治水は、無数の命を水害から救い、成長する社会を支えました。けれど、その同じ営みが、川と陸のあいだにあった氾濫原という生態系を消し、水位の揺らぎとともに生きてきた、無数の生き物の暮らしを奪いました。安全と豊かさを、両立しないものとして、片方を選びつづけた時代。それが、第V部でたどってきた近代の治水の、いつわらざる姿でした。
けれど、物語は、ここで終わりません。二十世紀の終わりごろから、世界のあちこちで、新しい問いが立ちはじめます。失われた氾濫原を、取り戻せないか。川に、もう一度、あふれる余地を返せないか。安全と豊かさを、両立させる道はないのか。次の第VI部・第VII部では、その問いに挑む思想と実践をたどります。まず第VI部では、流域そのものを単位に世界を見直す、ひとりの生態学者の歩みから始めます。
参考にした資料
- 西廣淳ほか『人と生態系のダイナミクス5 河川の歴史と未来』(朝倉書店, 2021)
- 環境省「レッドリスト・レッドデータブック(淡水魚類を含む)」と生息地としての氾濫原・湿地の減少 https://www.env.go.jp/nature/kisho/hozen/redlist/
- 気候変動適応情報プラットフォーム(A-PLAT)「氾濫原湿地の保全・再生」 https://adaptation-platform.nies.go.jp/data/measures/np-012.html
- Daniel Pauly「Anecdotes and the shifting baseline syndrome of fisheries」(Trends in Ecology & Evolution, 1995) ── 基準推移症候群の原典
- 環境省「日本の外来種対策(侵略的外来種被害防止基本方針)」 https://www.env.go.jp/nature/intro/
── この章は、蔵書「流域の人文誌」の一冊です。
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