連続堤で川を締め切った近代の治水は、戦後、さらに徹底されていきます。山あいには巨大なダムが立ち上がり、都市の川は、コンクリートで固められていきました。
この時代の治水を、いま振り返るとき、私たちは、ふたつのことを同時に手に持っていなければなりません。それが、戦後日本の暮らしを足もとから支えた、まぎれもない達成だったこと。そして、その達成と引き換えに、川というものが、暮らしの視界から、静かに消えていったことです。
大水害の時代と、ダム
戦後まもない日本は、水害の時代でした。国土は戦争で荒れ、山ははげ、堤防の手入れは行き届いていません。そこへ、大型の台風が次々と襲来します。1947年のカスリーン台風では利根川の堤防が切れて関東平野が広く水没し、1959年の伊勢湾台風では、高潮と洪水によって五千人を超える人びとが亡くなりました。
水を治めることは、戦後復興そのものでした。その切り札とされたのが、ダムです。山あいの谷をせき止めて、巨大な水がめをつくる。大雨のときは水をため込んで洪水を抑え、ふだんは、その水を発電に、水道に、田畑に使う。治水と利水を一度にかなえる多目的ダムは、復興と成長の時代の要請に、まっすぐ応えるものでした。各地の大河の上流に、次々とダムが築かれます。ダムの電気が工場を動かし、ダムの水が広がる都市の蛇口を満たしました。高度経済成長は、文字どおり、ダムの水を飲んで育ったのです。その一方で、ダムの底には、いくつもの村が沈みました。湖底に故郷を手放した人びとの犠牲の上に、下流の安全と繁栄が築かれたことも、忘れずに記しておきたいと思います。
都市の川が、固められる
同じころ、都市の川にも、大きな変化が訪れていました。
高度成長期、都市は、爆発的にふくらみました。田畑や雑木林がつぶされ、住宅と舗装道路に変わっていきます。すると、雨の行方が変わりました。それまで土にしみこんでいた雨が、しみこむ場所を失い、降ったそばから、いっせいに川へ流れこむようになったのです。都市の小さな川は、これまでなら考えられなかった量の水を、短時間に受け止めることになりました。あふれる川、たびたび浸かる新興住宅地。いわゆる都市型水害です。
対策の論理は、明快でした。水を、できるだけ速く、海へ流してしまうこと。そのために、川はまっすぐに付け替えられ、川底と両岸はコンクリートで固められました。三面張りと呼ばれる姿です。蛇行をなくし、摩擦を減らせば、水は速く流れます。もっと小さな川や水路は、上に蓋をかけられ、暗渠(あんきょ)として地面の下に隠されました。道路の下を、かつての小川が、下水とともに流れている。都市には、そんな見えない川が、無数にあります。
川が、管になる
こうして、川は安全になりました。そのことは、まず認めなければなりません。三面張りの川は、設計どおり、水を速やかに流し去り、流域の浸水を減らしました。けれど、その川は、もう、以前の川ではありませんでした。
コンクリートの川には、淵も瀬もありません。葦の茂る岸辺も、砂利の浅瀬も、水草の揺れるよどみもありません。それらはすべて、魚が卵を産み、稚魚が隠れ、虫が育ち、鳥が餌をとる場所でした。すみかを失った生き物たちは、都市の川から姿を消していきます。水際の植物や土の微生物が担っていた、水を浄化する働きも細りました。そして、人もまた、川から遠ざけられます。垂直のコンクリート護岸と転落防止の柵は、人が水辺に降りることを拒みました。子どもが川で泳ぎ、魚を追う風景は、危険として、また水質の悪化とともに、消えていきました。
川は、流れる「場所」であることをやめ、水を通す「管」になった——そう言いたくなるほどの変化でした。管は、目に入れる必要のないものです。蓋をされ、柵で隔てられ、暮らしに使われなくなった川を、人びとは、しだいに見なくなりました。毎日川を見て、川の機嫌を知っていた、あの地続きの感覚は、こうして世代とともに細っていったのです。
固める、という時代の身ぶり
ここで、姉の蔵書を読んでくださった方は、似た話を思い出すかもしれません。庭の歴史のなかで見た、芝生と舗装の話です。
二十世紀は、地面を固める世紀でした。庭は芝生と舗装に覆われ、道路はアスファルトに、川はコンクリートになりました。雨を、土にしみこませず、表面を走らせて、速やかに「処理」する。それが、清潔で、安全で、近代的とされた地面のあり方でした。皮肉なことに、都市の地面を固めたことが川の水を急がせ、急ぐ水がさらに川を固めさせる、という循環さえ生まれていました。川の三面張りは、孤立した出来事ではなく、地面というものへの、時代まるごとの態度の、いちばん大きなあらわれだったのです。
見えなくなった川が伝えるもの
戦後の治水の時代は、私たちに、達成と喪失の、分かちがたい絡み合いを見せてくれます。
それは、ダムと護岸が、水害の犠牲を劇的に減らし、成長する都市の暮らしを支えたこと。その同じ事業が、川から生き物のすみかを奪い、人と川との地続きの関係を断ち、川を暮らしの視界から消していったことです。誰かが悪意で川を壊したのではありません。一つひとつは、その時代の切実な課題への、合理的な答えでした。だからこそ、この物語は重いのです。善意と合理の積み重ねの果てに、気づけば、私たちは川の見えない暮らしに立っていました。
では、固められた川とともに、具体的には、何が失われたのでしょうか。次回は、その失われたものの正体を、生態系の言葉で確かめます。川と陸のあいだにあった、氾濫原という世界の話です。
参考にした資料
- 西廣淳ほか『人と生態系のダイナミクス5 河川の歴史と未来』(朝倉書店, 2021)
- 国土交通省「戦後の治水事業とダム開発(カスリーン台風・伊勢湾台風と治水計画)」 https://www.mlit.go.jp/river/
- 内閣府 中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 ── 1959 伊勢湾台風」(2008) https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1959_isewan_typhoon/index.html
── この章は、蔵書「流域の人文誌」の一冊です。
同じことを考えている、近くの棚:

