第IV部の最後は、村の水辺から、都市の大事業へと、舞台を移します。明治の京都を生まれ変わらせた、琵琶湖疏水(びわこそすい)の物語です。
ため池も、番水も、かばたも、村のなかで、与えられた水をどう分かち合うか、という知恵でした。疏水は、発想が違います。水が足りないなら、山の向こうから、運んでくればいい。湖と都のあいだに横たわる山を、トンネルで貫いて、琵琶湖の水を京都へ引く。それは、水との付き合いが「近代」という新しい時代に入ったことを告げる、号砲のような事業でした。
都の危機
事の起こりは、都の引っ越しでした。明治維新で、天皇が東京へ移ると、千年の都だった京都は、深刻な地盤沈下に見舞われます。
人口は減り、町から活気が失われていきました。このままでは京都は衰える——その危機感のなかで、京都府の知事だった北垣国道(きたがきくにみち)が、起死回生の構想を打ち出します。東の山の向こうにある琵琶湖から、水を引いてくる、というのです。水があれば、舟で物資を運べます。水車をまわして、工業をおこせます。田畑をうるおし、防火の備えにもなります。水は、当時の社会のあらゆる動力の源でした。琵琶湖という、日本一の水がめを都の隣に持ちながら、山にはばまれて使えずにいる。その山を、越えようというのです。
二十一歳の技師
この大事業の設計と現場を任されたのが、おどろくべきことに、学校を出たばかりの青年でした。田辺朔郎(たなべさくろう)、当時二十一歳です。
田辺は、工部大学校(いまの東京大学工学部の前身のひとつ)の学生時代に、琵琶湖疏水の計画を卒業論文として書き上げていました。北垣はその才を見込んで、卒業したての田辺を、京都府の技師として迎え入れます。当時の日本の大土木は、お雇い外国人と呼ばれる欧米人技師の指導に頼るのが常でした。けれど琵琶湖疏水は、設計から施工まで、日本人技術者の手で成し遂げられた、最初期の大事業になります。
最大の難所は、大津側から京都へ抜ける、長等山(ながらやま)のトンネルでした。長さはおよそ2.4キロメートル。当時の日本では、誰も掘ったことのない長さです。山の両側から掘り進むだけでなく、山の上から垂直に竪坑を掘り下げ、そこからも横へ掘り進める工法で、工期を縮めました。測量がわずかでも狂えば、坑道は出会えません。1885年に始まった工事は、五年の歳月と多くの犠牲を払って、1890年、ついに通水にこぎつけました。
水車から、電気へ
そして、この事業には、もうひとつの転回が待っていました。工事の終盤、田辺は、ある報せに目を留めます。アメリカで、水の力で電気を起こし、その電気で工場を動かす試みが始まっている、というのです。
田辺は、実業家の高木文平とともに、海を渡ってアメリカの水力発電所を視察します。そして帰国後、計画を大胆に変えました。疏水の水で水車をまわして動力を配る、という当初の構想を改め、水力発電所を建てることにしたのです。1891年、蹴上(けあげ)に、日本で最初の事業用水力発電所が動き出しました。琵琶湖の水の落差が、電気に変わったのです。
この電気が、京都の新しい時代をひらきました。工場がおこり、やがて、日本初の路面電車が京都の町を走り出します。疏水のへりには、インクラインと呼ばれる傾斜鉄道が設けられ、舟を台車に載せて、坂を上下させました。湖の水が、舟を運び、田をうるおし、電気になって町を照らし、電車を走らせる。ひとつの水路が、都市の暮らしをまるごと近代へ押し出した、めずらしい例です。疏水の水は、百三十年あまりたったいまも、京都の水道と発電を支えつづけています。
分水嶺を、貫く
さて、この物語を、連載の文脈に置き直してみます。琵琶湖疏水が越えたものは、何だったのでしょうか。
それは、分水嶺でした。琵琶湖と京都盆地のあいだには、山が連なっています。第I部の言葉でいえば、水の地図の境界線です。自然のままなら、琵琶湖の水は、決められた川筋を通ってしか、海へ出られません。疏水は、その水の地図の境界を、トンネルという人工の水の道で、まっすぐ貫きました。水は、もはや、地形の言いなりではない。人間が、水の行き先を、地図ごと描き替えられる——近代とは、そういう時代の始まりでした。
ここには、輝きと、問いの両方があります。輝きは、見てきたとおりです。都はよみがえり、暮らしは豊かになりました。けれど同時に、この成功は、ひとつの考え方を時代に深く植えつけます。水は、技術の力で、自在に動かし、従わせられるものだ、という考え方です。村のなかで水を分かち合った時代から、水を意のままに動かす時代へ。その先で、日本の川に何が起きたのか。次の第V部の主題は、そこにあります。
琵琶湖疏水が伝えるもの
琵琶湖疏水は、私たちに、水と人との関係の、大きな曲がり角を見せてくれます。
それは、都の危機を、水を運ぶことで救った、構想の力。二十一歳の技師と日本人技術者たちが、自らの手で成し遂げた、誇るべき仕事。水車から発電への、時代を先取りした転回。そして、分水嶺さえ貫けるようになった人間の力が、水との付き合い方を、根本から変えはじめた、という予感です。第IV部でたどった、分かち合いの水の世界は、ここで、近代の入口に立ちました。
次回からの第V部では、その近代が、日本の川をどう変えていったかをたどります。堤防で川を締め切り、ダムでせき止め、コンクリートで固める。安全と引き換えに、私たちが川から失ったものの物語です。
参考にした資料
- 「日本遺産 琵琶湖疏水」公式サイト(琵琶湖疏水沿線魅力創造協議会)/琵琶湖疏水記念館(京都市上下水道局) https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/
- 土木学会 選奨土木遺産・田辺朔郎と琵琶湖疏水の関連資料
- 関西電力「蹴上発電所(日本初の事業用水力発電・1891年)」解説
── この章は、蔵書「流域の人文誌」の一冊です。
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