ため池や川から引いた水は、そのままでは、まだ誰のものでもありません。その水を、どの田に、いつ、どれだけ流すのか。じつは、日本の村の暮らしのいちばん細やかな知恵と、いちばん激しい争いは、ここにありました。
今回は、水を分ける掟の世界です。地味な題材に聞こえるかもしれません。けれど、この連載の中心の問い——水は、誰のものか——に対して、日本の歴史がどんな答えを出してきたかが、ここにいちばんはっきりと現れています。
我田引水 ── 争いの種としての水
「我田引水(がでんいんすい)」という四字熟語があります。自分に都合よく物事を運ぶ、という意味で使われますが、文字どおりに読めば、「わが田に水を引く」です。
この言葉が戒めとして成り立つこと自体が、ひとつの証言です。つまり、水は、放っておけば奪い合いになるものだった、ということです。日照りの夏を想像してみてください。ため池の水は、限られています。上流の田が水を引きすぎれば、下流の田は干上がります。一枚の田の水は、その家の一年の米、すなわち暮らしそのものです。水をめぐる争い——水論(すいろん)と呼ばれます——は、日本の村と村、家と家のあいだで、何百年もくり返されてきました。中世には、鍬や竹槍を持ち出す実力行使になることも、めずらしくなかったと伝えられています。
水は、めぐみであると同時に、争いの種でした。だからこそ、村々は、水を「分ける仕組み」を、執念深いほどの細かさで、つくり上げていったのです。
番水 ── 時間で分ける知恵
その仕組みの代表が、番水(ばんすい)です。考え方は、単純です。水そのものは分けられないなら、水を使う「時間」を分ければいい。
田ごとに、家ごとに、集落ごとに、水を引いてよい順番と時間を、あらかじめ決めておきます。日照りで水が乏しくなるほど、この決まりは厳格になりました。時計のない時代には、線香が一本燃えつきるまで、といった計り方も使われたと伝えられます。順番が夜中にまわってくれば、提灯を提げて、真夜中の水路に出ていきます。眠い目をこすりながら、自分の田の水口をあけ、決められた時間がくれば、きっちりと閉じて、次の人へ渡す。水の乏しい土地では、こうした夜の水番が、夏の暮らしの一部でした。
番水の決まりは、しばしば、おどろくほど細かく、そして公平さに気を配っています。上流と下流で不利がかたよらないように、年ごとに順番を入れ替える。池に近い田と遠い田で、時間の長さを変える。誰かの得は、どこかで誰かの我慢の上に成り立つ。その我慢を、全員が納得できるかたちに編み上げたものが、番水という掟だったのです。
井組 ── 水でつながる組合
こうした掟を支えたのが、井組(ゆぐみ・いぐみ)などと呼ばれる、水の共同体でした。同じ用水、同じため池の水を使う家々が組をつくり、水を共同で管理するのです。
井組の仕事は、配水の采配だけではありません。春には、皆で水路の泥をさらい、堤を直します。費用と労力は、田の広さなどに応じて分担します。水を使う者は、水を支える義務も負う。使うことと支えることが、一対になっていました。そして、争いが起きれば、まず組のなかで話し合い、収まらなければ、近世には領主や奉行所の裁定を仰ぎました。実力で奪い合う水から、話し合いと裁きで分ける水へ。時代とともに、水の秩序は、暴力から自治へと、ゆっくり移っていったのです。
この水の自治の伝統は、いまも生きています。現代の土地改良区や水利組合は、姿を変えた井組の末裔です。日本の農村の水は、いまでも、行政だけでなく、水を使う人びと自身の組織によって、管理されつづけています。
水は、誰のものか ── 慣行が出した答え
さて、ここで、連載の問いに戻ります。水は、誰のものか。日本の水の慣行は、この問いに、含蓄のある答えを出してきました。
長い歴史のなかで育った水利の権利——慣行水利権と呼ばれます——の考え方を、かみくだいて言えば、こうなります。水を使う権利は、ある。けれどそれは、水を「所有」する権利ではない。自分の耕作に必要なぶんだけ、流れから使わせてもらう権利である、と。つまり、独り占めの権利ではなく、必要な量だけの、使用の権利です。流れそのものは、誰のものでもない。誰のものでもないからこそ、皆で掟をつくり、順番を守り、水路をさらって、分かち合う。
第I部で、所有と帰属の話をしました。線の内側を「私のもの」とする所有の論理に対して、流域は「私はここのものだ」という帰属の論理を持っている、と。日本の村の水の掟は、まさにその帰属の論理を、暮らしの細部にまで彫りこんだものでした。水は誰のものでもなく、だから皆のものです。番水の提灯の明かりは、その思想が、夜の水路を実際に歩いていた姿なのです。
水を分ける掟が伝えるもの
水を分ける掟は、私たちに、水と共同体の深いつながりを見せてくれます。
それは、水が、放っておけば争いの種であり、だからこそ、緻密な分かち合いの仕組みが育ったこと。時間で分け、組で支え、争いを裁きへ、裁きを自治へと育ててきた歴史。そして、水を所有せず、必要なぶんだけ使わせてもらうという、慣行の知恵です。日本の村にとって、水を分けることは、たんなる資源の配分ではなく、共同体そのものを編むことでした。
次回は、この「分かち合う水」の、もっとも美しい現役の姿に出会います。琵琶湖のほとり、湧き水とともに暮らす村。滋賀県高島市の針江、かばたの里です。
参考にした資料
- 農林水産省「農業用水の歴史と水利権(慣行水利権)」 https://www.maff.go.jp/j/nousin/mizu/kurasi_agwater/k_agri/
- ミツカン 水の文化センター 機関誌『水の文化』66号「広域用水路 ── 農村 水利費を負担するのは誰か」(番水・慣行水利) https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no66/05.html
- 各地の土地改良区・水利組合資料(番水慣行の記録)
── この章は、蔵書「流域の人文誌」の一冊です。
同じことを考えている、近くの棚:

