都江堰、二千年動きつづける、堰でない堰

前回の禹の治水は、伝説でした。今回は、その「導いて流す」思想が、実物の土木として形になり、しかも、いまも現役で働きつづけている場所を取り上げます。中国・四川省の、都江堰(とこうえん)です。

築かれたのは、紀元前三世紀。日本でいえば、弥生時代のことです。それから二千二百年あまり、この水利施設は、大きな改修を重ねながらも、基本の仕組みを変えずに、成都平原の田畑をうるおしつづけてきました。現代の機械もコンクリートもない時代に、なぜ、そんなものが造れたのでしょうか。秘密は、「堰き止めない」という、逆説のような発想にあります。

二千二百年、働きつづける

都江堰が築かれたのは、紀元前256年ごろ、戦国時代の中国でのことと伝えられています。指揮をとったのは、この地方の長官だった李冰(りひょう)という人物です。

舞台は、岷江(みんこう)という川です。チベット高原に近い山々から流れ出るこの川は、山地を抜けて成都平原に出るところで、たびたびあふれ、平原を水びたしにしていました。いっぽうで、川から離れた土地は、水が足りずに乾いていました。あふれる場所と、足りない場所が、同じ平原に同居していたのです。李冰は、この川を治めるために、ダムのように川をせき止める道を、選びませんでした。かわりに、川を「分ける」ことにしたのです。

その仕組みは、いまも生きています。都江堰は、2000年にユネスコの世界遺産に登録され、2019年には、世界かんがい施設遺産にも登録されました。そして現在もなお、およそ5,300平方キロメートルという広大な農地——東京都の面積の二倍をゆうに超える広さ——に、水を送りとどけています。

堰き止めずに、分ける

都江堰の中心には、川のまんなかに築かれた、細長い中州のような堤があります。先端が魚の口のように水を切ることから、魚嘴(ぎょし)と呼ばれます。

この魚嘴が、岷江の流れを、二つに分けます。一方は、もとの川筋をくだる外江(がいこう)。もう一方は、田畑へ向かう内江(ないこう)です。内江の先には、岩山を人の手で切りひらいた、せまい取水口が待っています。宝瓶口(ほうへいこう)、つまり「宝の瓶の口」と呼ばれる開口部です。ここを通った水だけが、成都平原の灌漑用水路の網へと、流れこんでいきます。そして、魚嘴と宝瓶口のあいだには、飛沙堰(ひさえん)と呼ばれる低い堰があり、内江に入りすぎた水と、水に運ばれてきた土砂を、外江へと逃がします。

うつくしいのは、この三つの仕掛けの連携です。水が少ない季節には、流れの大半が、自然に内江へ入り、田畑をうるおします。洪水の季節には、増えた水の大半が、自然に外江へ流れ、余りは飛沙堰を越えて逃げていきます。誰かが門を開け閉めしなくても、地形と水の勢いそのものが、配分を調整してくれる。水を堰き止める壁は、どこにもありません。あるのは、水の流れを読み、分け、導く仕掛けだけです。

川と、争わない

都江堰の設計思想は、後の人びとによって、短い言葉に磨かれてきました。よく知られているのが、「深く淘(さら)い、低く堰をつくれ」という教えです。

川底にたまる土砂は、深くさらって流れを保つ。けれど堰は、低くつくり、水が越えていけるようにしておく。高い壁で水と争うのではなく、水の行き場を、つねに残しておくのです。前回の言葉でいえば、これは徹底して「疏」の思想です。実際、李冰は、禹の治水の伝統を継ぐ者として語られ、この地で祀られてきました。伝説の禹が指し示した「導いて流す」道を、李冰は、測量と土木の言葉に翻訳してみせた、と言ってもよいかもしれません。

ここで、足を止めて考えてみたくなります。二千二百年のあいだには、もっと頑丈で、もっと巨大な水利施設が、世界中に数えきれないほど造られました。その多くが、すでに役目を終え、姿を消しています。そのなかで、水と争わないことを選んだこの柔らかな仕掛けが、いちばん長く生きのびた、ということの意味を。強さではなく、しなやかさが、時間に勝ったのです。

水が、暮らしの形を育てた

都江堰が二千年をかけてしたことは、田畑をうるおすことだけでは、ありませんでした。あふれる水と、足りない水のあいだに、安定した均衡が生まれたとき、成都平原は、中国でも指折りの豊かな土地に変わります。古くから「天府の国」——天の倉のように、ものの満ちる土地——と呼ばれてきたのが、この平原です。

その豊かさは、目に見えるかたちをとりました。林盤(りんぱん)と呼ばれる、独特の集落です。屋敷のまわりを竹や樹木の林が囲み、その外に田畑が広がります。家と森と耕地と家畜とが、ひとつのまとまりとなって息づいています。成都平原には、こうした林盤が、いまも千を超えて点在しています。一つひとつは、五十人から百人ほどの、小さな世界です。都江堰が水路の網を平原のすみずみまで届けたからこそ、人びとは大きな町に固まらず、水のあるところへ、ゆるやかに散らばって住むことができました。

ランドスケープの研究者、石川幹子は、この林盤にこそ、都江堰のほんとうの遺産がある、と考えています。世界遺産に登録されているのは、二千三百年の歴史をもつ水利施設のほうです。けれど、ほんとうに守るべきなのは、その水が育てた、森と田畑と暮らしが一体になった土地の使い方ではないか、というのです。水を治めるとは、洪水を防ぐことだけを指すのではありません。水のめぐり方が、人の住まい方を決め、土地の風景をかたちづくっていきます。都江堰は、治水が暮らしの形そのものを生むという、長い実験の現場でもあったのです。

都江堰が伝えるもの

都江堰は、私たちに、「流す治水」の実物を見せてくれます。

それは、川を堰き止めず、分けて導くという発想。地形と水の勢いにまかせて、洪水と渇水の配分を自動でととのえる仕組み。そして、水と争わない柔らかな構造こそが、二千年を超えて働きつづけた、という事実です。禹の伝説が語った思想は、夢物語ではありませんでした。それは、石と水路のかたちで、現実の大地に刻むことのできる知恵だったのです。

次回は、舞台を日本に移します。日本列島で、人びとが最初に向き合った水の課題は、大河の氾濫よりもまず、「水をどう貯めるか」でした。日本最古級のため池と伝えられる、大阪の狭山池の物語です。


参考にした資料

  • UNESCO World Heritage「Mount Qingcheng and the Dujiangyan Irrigation System(青城山と都江堰)」 https://whc.unesco.org/en/list/1001/
  • 国際かんがい排水委員会(ICID)「世界かんがい施設遺産(2019年登録・都江堰)」 https://icid-ciid.org/
  • 石川幹子(東京大学名誉教授・中央大学)── 都江堰と「林盤(りんぱん)」の保全研究。成都平原の伝統的集落=水利が育てた生態的土地利用。中央大学・四川大学合同チームが「世界遺産都市・都江堰・林盤保全設計最優秀賞」を受賞(2019) https://www.chuo-u.ac.jp/research/introduction/rdi/news/2019/09/45610/

── この章は、蔵書「流域の人文誌」の一冊です。

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