灌漑が文明をつくった、氾濫との折り合い

ここから第II部、水の文明史に入ります。人類が、水とどう付き合ってきたか。その長い歴史を、いくつかの場面でたどっていきます。

最初の場面は、文明のはじまりの土地です。メソポタミアと、エジプト。どちらも、大きな川のほとりで、最初の都市文明が育ちました。けれど、この二つの土地の物語は、よく見ると、ずいぶん性格が違います。鍵をにぎっているのは、川の「氾濫」、つまり、あふれることとの、付き合い方です。

水を引く ── 文明の最初の土木

農耕が始まったとき、人類は、ひとつの大きな壁にぶつかりました。雨が、作物の都合に合わせて降ってくれない、という壁です。

そこで人びとは、川から水を引くことを覚えました。灌漑(かんがい)です。水路を掘り、堤を築き、川の水を畑へ導く。メソポタミアでは、いまから八千年ほど前には、すでに灌漑が始まっていたと考えられています。水を自在に操れるようになると、収穫は安定し、人口が増え、余った食糧が、農夫ではない人びと——職人や、商人や、神官や、王——を養えるようになります。都市と文明の誕生です。姉の蔵書「庭の人文誌」では、この灌漑を「水の囲い込み」として、庭の誕生につなげて語りました。

けれど、この物語には、もう半分の顔があります。川は、人間に水を与えてくれるだけの、おとなしい相手ではなかった、ということです。川は、あふれます。ときに、田畑も家も人も、押し流します。文明は、水を「引く」技術と同時に、あふれる水と「折り合う」知恵を、最初から求められていたのです。

気まぐれな川 ── ティグリスとユーフラテス

メソポタミアを流れる、ティグリス川とユーフラテス川は、気性の荒い川でした。

この二つの川の氾濫は、起こる時期も、規模も、年によって大きく揺れたとされます。しかも、増水の季節が、作物の刈り入れどきと重なることがあり、せっかく育てた麦が、収穫の直前に押し流されることもありました。恵みの水と、破壊の水が、同じ川から、予測しがたいかたちでやってくる。メソポタミアの人びとにとって、川は、頼みの綱であると同時に、いつ牙をむくかわからない、おそろしい相手でもあったのです。

この土地で、世界最古級の物語が生まれたことは、偶然ではないのかもしれません。後の回でくわしく見ますが、メソポタミアには、神々が大洪水で人類を滅ぼそうとする物語が伝わっています。すべてを押し流す水の記憶が、神話のかたちで刻まれたのだ、という見方があります。気まぐれな川のほとりでは、水は、恵みであると同時に、世界の終わりの予感でもありました。

規則正しい川 ── ナイルとベイスン灌漑

いっぽう、エジプトのナイル川は、まるで性格が違いました。ナイルの増水は、おどろくほど規則正しかったのです。

毎年、ほぼ決まった季節に、ナイルはゆっくりと水位を上げ、流域の低地に水をあふれさせ、やがてまた、ゆっくりと引いていきました。しかも、その水は、上流から運ばれた細かい土を、畑に置きみやげとして残していきます。つまりナイルの氾濫は、災害というより、毎年届く、土と水の贈りものでした。エジプトの人びとは、これを最大限に生かす方法を編み出します。畑を低い土手で囲って水盤のように区切り、氾濫の水をそこへ引き込み、たっぷりと土をうるおしてから、水が引いた地面に種をまく。ベイスン灌漑と呼ばれる、氾濫を前提にした農法です。

さらにエジプトには、ナイロメーターと呼ばれる仕掛けがありました。川岸や神殿に設けられた、水位を測るための階段や柱です。その年の増水の高さを測れば、収穫の豊凶が、あらかじめ見通せます。記録によれば、その見通しは、税の取り立ての見積もりにまで使われたといいます。氾濫は、おそれて逃げるものではなく、測り、見通し、暮らしの暦に組みこむものだったのです。

二つの川、二つの折り合い

同じ「川の氾濫」に対して、二つの文明は、ずいぶん違う折り合い方をしました。

気まぐれな川のほとりでは、人びとは、堤防と水路の管理に追われ、あふれる水を警戒しつづけました。規則正しい川のほとりでは、人びとは、氾濫そのものを暦に組みこみ、贈りものとして受けとりました。この対比が、二つの文明の世界観の違い——たとえば、世界を不安定なものと見るか、循環する秩序と見るか——にまでつながった、という見方もあります。そこまで言いきれるかどうかは、慎重に考える必要があります。けれど、少なくとも、こうは言えるはずです。川とどう折り合うかは、たんなる技術の問題ではなく、その土地の人びとの、世界の感じ方の土台にまで、しみこんでいくのだ、と。

灌漑が伝えるもの

文明のはじまりの二つの川は、私たちに、水との付き合いの原型を見せてくれます。

それは、水を引く技術が文明を生んだこと。けれど同時に、文明は最初から、あふれる水との折り合いを迫られていたこと。そして、その折り合い方が、警戒と共生のあいだで、土地ごとにまるで違う表情を見せた、ということです。水を完全に支配することも、水から完全に逃げることもできない。そのあいだのどこかに、それぞれの文明は、自分の居場所を見つけてきました。

次回は、この「折り合い」の問いに、もっとも鮮やかな答えを出した、ひとつの伝説を取り上げます。古代中国の、禹(う)の治水です。水を、埋めて止めようとした父と、導いて流すことを選んだ子。四千年前の物語が、この連載全体の、思想の核心を先取りしています。


参考にした資料


── この章は、蔵書「流域の人文誌」の一冊です。

📖 「流域の人文誌」(目次)へ戻る

同じことを考えている、近くの棚: