第I部の最後に、最初の問いへ、正面から向き合ってみたいと思います。私たちは、どの流域に属しているのか。そして、「属している」とは、そもそも、どういうことなのか。
ここまでの回で、道具立ては、そろいました。大地には水の引いた線があること。その線に囲まれた集水域が、入れ子になって大地を覆っていること。そして、住所を流れで言い換える、流域地図という方法があること。今回は、それらが指し示している、ひとつの大切な言葉について考えます。帰属、という言葉です。
所有の線と、帰属の流れ
姉の蔵書「庭の人文誌」で、私たちは、人の引く線が「所有」と結びついてきたことを見ました。線の内側は、私のもの。土地の権利書も、家の登記も、庭の塀も、すべて「これは誰のものか」を確定するための仕組みです。所有の世界では、私が主人で、土地は私に属します。
ところが、流域の線は、向きが逆です。流域は、誰かのものとして囲い取ることが、できません。ひとつの流域には、何千、何万、ときに何百万という人が、いっしょに住んでいます。森も、田畑も、生き物たちも、同じ水を分かち合っています。この世界では、私が流域を所有するのではなく、私のほうが、流域に属しています。土地が私に属するのではなく、私が土地の、水のめぐりの、一部なのです。
所有は、「これは私のものだ」と言います。帰属は、「私は、ここのものだ」と言います。同じ「属する」でも、矢印の向きが、正反対です。流域という見方は、この矢印を、静かにひっくり返します。
上流と下流 ── 見えない人と、つながっている
帰属の感覚を、いちばん具体的に教えてくれるのが、上流と下流の関係です。
あなたの家の蛇口から出る水は、たいてい、どこかの川から取られています。その川の上流には、森があり、その森に降った雨が、あなたの飲み水のおおもとです。つまりあなたの暮らしは、会ったこともない上流の土地の、森の手入れや、水の使われ方に、支えられています。そして同時に、あなたが流した水は、下流へくだっていきます。あなたの家の排水も、庭にまいた薬剤も、道路の汚れも、雨に運ばれて、下流の誰かの川辺へ、その先の海へと届きます。
ここに、流域という単位の、独特の倫理があらわれます。流域のなかでは、誰も、ひとりで完結できません。上流の行いは、頼んでもいないのに下流へ届き、下流の暮らしは、知らないうちに上流に支えられている。「水は誰のものか」という問いに、流域は、こう答えているように見えます。水は、誰のものでもない。あるいは、流域に住むみんなのものだ、と。所有の地図では他人どうしの人びとが、水の地図の上では、ひとつの流れで結ばれた、いわば同じ船の乗り合わせなのです。
すでに、属している
そして、思い出してみてください。前々回に確かめた、あの事実を。地上の土地は、ほとんど例外なく、どこかの流域に属している、ということです。
これは、私たち自身についても、そのまま言えます。流域への帰属は、入会の手続きがいりません。引っ越した日から、いえ、生まれた日から、誰もが、どこかの流域の住人です。会費もなく、脱退もできません。蛇口をひねり、雨をしのぎ、排水を流して暮らしているかぎり、私たちは毎日、流域の水のめぐりに参加しています。ただ、そのことに、気づいていないだけなのです。
だから、「どの流域に属しているのか」という問いは、新しい所属先を探す問いではありません。すでに属しているものの名前を、知ろうとする問いです。流域地図を作ることは、いわば、生まれたときから持っていたのに、一度も読んだことのなかった、もう一枚の住民票を読むことに似ています。あなたの足もとの土地には、何県何市という名前のほかに、何川流域という、もうひとつの名前が、最初からついていたのです。
第I部が伝えるもの
第I部を通して見てきたのは、世界の見方を、一枚、裏返すことでした。
大地には、人の引いた所有の線と、水の引いた流れの線がある。流れの線で見れば、大地は、雨を集めるくぼ地の入れ子であり、すべての土地と人は、すでにどこかの流域に属している。そして流域のなかでは、所有の地図で他人だった人びとが、ひとつの水でつながっている。庭の蔵書が「これは私のものだ」という所有の歴史をたどったとすれば、この蔵書がたどるのは、「私は、ここのものだ」という帰属の物語です。
では、人類は、この水と、どう付き合ってきたのでしょうか。水を引き、せき止め、あふれられて、祀り、分け合ってきた、その長い歴史です。次回からは、第II部として、水の文明史に入ります。最初に向き合うのは、文明のはじまりの土地、メソポタミアとエジプトの、氾濫する大河です。
参考にした資料
- 岸由二『「流域地図」の作り方 ── 川から地球を考える』(ちくまプリマー新書, 2013)
- 岸由二『生きのびるための流域思考』(ちくまプリマー新書, 2021)
- (姉妹蔵書「庭の人文誌」第VII部「所有としての庭か、関係としての庭か」)
── この章は、蔵書「流域の人文誌」の一冊です。
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