分水嶺、雨粒の運命を分ける線

前回、大地には人間の引いた線とは別に、水が引いた線がある、という話をしました。今回は、その水の線のいちばんの要を見ていきます。分水嶺(ぶんすいれい)です。

少し想像してみてください。高い山の尾根のいちばん上に、一粒の雨が落ちます。その雨粒が尾根のこちら側に転がるか、あちら側に転がるか。ほんの数センチの違いです。けれどその数センチが、雨粒のその後の旅をまるごと変えてしまいます。こちらに落ちた雨は、何百キロも流れて太平洋に出るかもしれません。あちらに落ちた雨は、反対へ流れて日本海に注ぐかもしれません。この雨の行く先を分ける線を、分水嶺、あるいは分水界(ぶんすいかい)と呼びます。

一粒の雨の運命

分水嶺の仕組みは、とても単純です。水は高いところから低いところへ流れます。だから土地のいちばん高い連なり、つまり尾根が、水の行き先を分ける境界になります。

岸由二は、流域を「雨水が集まってくる、くぼ地」としてとらえています。そのくぼ地を囲む尾根の部分が、降った雨の行方を分ける分水界です。お椀を思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。大地は、無数のお椀がふちを接して並んだようなものです。お椀のふちが分水嶺です。ふちの内側に落ちた雨は、お椀の底、つまり川へ集まっていきます。ふちの外に落ちた雨は、隣のお椀のものになります。

面白いのは、この線が目に見えないことです。分水嶺の上に立っても、地面に線が引いてあるわけではありません。柵も標識もないことがほとんどです。それでも雨は間違えません。何万年ものあいだ、地表を流れる雨水はこの見えない線に従って行き先を分けてきました。人間の引いた国境は、戦争や条約でしばしば動きます。水の引いたこの線は、地形そのものが変わらないかぎり動かないのです。

日本列島の背骨

この分水嶺を、日本列島ぜんたいの大きさで見てみましょう。日本列島には、一本の長い長い分水嶺が背骨のように走っています。

本州の中央には山々が連なり、その尾根筋を境に、降った雨は日本海側へ流れるものと太平洋側へ流れるものとに分かれます。この大きな境の連なりは、中央分水界、あるいは中央分水嶺と呼ばれます。北は青森から南は山口まで、列島をたてに貫く水の背骨です。

ただ、この背骨はいつも高い山の上を走っているとはかぎりません。たとえば兵庫県丹波市には、「水分れ(みわかれ)」という名の場所があります。本州でもっとも低い中央分水界の一つとして知られ、標高はわずか95メートルほど、100メートルに満たない低さです。あたりは、ゆるやかな谷あいの町です。それでもこの小さな峠を境に、北へ落ちた雨は由良川をくだって日本海へ、南へ落ちた雨は加古川をくだって瀬戸内海へと、まったく反対の海へ旅立っていきます。歩いて越えられるほどのささやかな起伏が、列島の水を二つに分けている。分水嶺とは高さの話より、わずかでも「どちらに傾いているか」の話なのです。

あなたの足もとにも分水嶺はある

ここからが、この回でいちばんお伝えしたいことです。分水嶺は、遠い山の上だけにあるのではありません。あなたの暮らしている町にも、家のすぐ近くにも走っています。

中央分水嶺が日本列島を大きく二つに分けるように、もっと小さな尾根が川と川との流域を分け、さらに小さな起伏が小川と小川の集水域を分けています。住宅地のなんでもない道路にも、よく見るとかすかな高まりがあります。雨の日に、道路の水がある場所を境に右と左へ分かれて流れていく。それが、あなたの町の小さな分水嶺です。マンホールのふた一枚分ほどの高まりが、水の行き先を分けていることさえあります。

ためしに雨の日、傘をさして近所を歩いてみてください。水たまりがどちらへ伸びているか。側溝の水がどちらへ向かって流れているか。その流れを目で追っていくと、ふだん歩き慣れた町が、急に起伏のある立体的な大地として見えてきます。坂の上は尾根で、坂の下は谷です。住所の地図の下から、水の地図が浮かびあがってくるのです。前回、大地には二枚の地図がある、と書きました。二枚目の地図は、雨の日にこそよく見えます。

分水嶺が伝えるもの

分水嶺という線は、いくつかの大切なことを教えてくれます。

水の世界の境界は、人間の都合と無関係に、地形そのものによって引かれていること。その線は目に見えないのに、雨は一粒も間違えずにそれに従っていること。そしてその線が、遠い山の上だけでなく、足もとのほんのかすかな起伏にまで、びっしりと走っていることです。世界は人の引いた区画である前に、まず雨の行き先で区切られた、無数のお椀の集まりでした。


参考にした資料


── この章は、本棚「流域の人文誌」の一冊です。

📖 「流域の人文誌」(目次)へ戻る

同じことを考えている、近くの本棚: