ひとつの問いから、この連載を始めたいと思います。あなたは、自分の住んでいる「場所」を、どうやって言いあらわすでしょうか。
たいていは、住所で答えることになります。何県の、何市の、何丁目。それは、人間が地図の上に引いた、区画の線です。けれど、その同じ場所を、まったく別のやり方で言いあらわす方法があります。あなたの家の屋根に降った雨が、どこへ流れていくか、で言いあらわすのです。雨水は、近くの側溝へ落ち、小さな水路に集まり、やがて川になり、海へ出ます。その、水の集まる範囲のことを、流域(りゅういき)と呼びます。この連載は、この「流域」という、もう一つの土地の見方をめぐる、読み物の蔵書です。
庭は、人が線を引いた
じつは、この連載には、姉にあたる蔵書があります。「庭の人文誌」という、庭をめぐる長い読み物です。そこで私たちは、ひとつの発見にたどり着きました。庭という言葉も、楽園という言葉も、その語源をたどると、どちらも「囲い」に行き着く、ということです。
庭とは、囲い込みでした。広い世界から、一区画を線で囲い取り、内と外を分ける。塀の内側には、手をかけ、水をやり、守り育てる。線の外側には、手の及ばない世界が広がる。この「一本の線」こそが、庭を庭にしている、いちばん根本の仕掛けでした。そして、その線を引くのは、いつも、人間です。人が、自分の都合で、ここからここまでと決めて、地面に線を引く。住所も、地番も、国境さえも、つきつめれば、この人間の引いた線の仲間です。
私たちは、この「人が引いた線」の内側で暮らすことに、すっかり慣れています。土地は区画で売り買いされ、家は敷地の内に建ち、庭は塀の内に収まる。それが、当たり前の世界の見え方になっています。
水が引く、もう一つの線
ところが、大地には、もう一種類の線が、ずっと前から引かれています。人間が引いたのではない線です。
雨が降ると、水は、高いところから低いところへ流れます。どんなにかすかな起伏でも、水は正確にそれを読みとって、流れる先を決めます。そして、ある尾根を境に、こちらに落ちた雨はこちらの川へ、あちらに落ちた雨はあちらの川へと、行き先が分かれます。この、水の行き先を分ける線が、大地には、網の目のように走っています。その線で囲まれた範囲、つまり、ひとつの川に水が集まってくる土地の全体が、流域です。
流域の研究と実践を長く重ねてきた生態学者の岸由二は、流域を、こう定義しています。「雨を集める領域」。地上のどこか一点を取れば、そこに集まってくる水の範囲が、かならずあります。それが、その場所の流域です。ここで、大切なことに気づきます。庭の線は、人間が引きました。けれど、流域の線は、水と大地が引いています。雨と、地形の起伏が、何万年もかけて、自然に描いてきた線です。人間の都合は、いっさい入っていません。同じ「囲い」でも、囲っている主が、まるで違うのです。
しかも、この線は、人の引いた線と、平気で食い違います。行政の境界線は、川のまんなかを走っていることがあります。流域から見れば、川の右岸と左岸は、同じ水でつながった、ひとつの世界です。けれど住所の上では、別の市、ときには別の県に分かれている。逆に、同じ市内なのに、降った雨の行き先がまったく違う、ということもあります。人の地図と、水の地図は、重なっていないのです。
水は、誰のものか
この二枚の地図のずれは、ただの地理の豆知識ではありません。そこからは、深い問いが立ちあがってきます。
庭の蔵書で見たように、人の引いた線は、「所有」と結びついてきました。線の内側は、私のもの。土地も、家も、庭も、線によって、誰かのものになります。ところが、水は、この所有の論理に、うまく収まりません。あなたの土地に降った雨は、あなたの土地にとどまらず、隣の土地へ、下流の町へ、海へと流れていきます。上流の誰かが水を汚せば、会ったこともない下流の誰かが、その水を受けとります。水は、線を引いて囲い込んだはずの土地を、おかまいなしに通り抜けて、人と人とを、見えないところでつないでいるのです。
だとすると、水は、いったい誰のものなのでしょうか。そして、もうひとつ。区画の住所ではなく、水のつながりで土地を見たとき、私たちは、いったい「どこ」に住んでいることになるのでしょうか。私たちは、どの流域に、属しているのか。この二つの問いが、この連載全体を貫く、出発点の問いです。
この蔵書で、たどる道
この問いを手に、これから、いくつもの棚をめぐっていきます。
まず、流域という見方そのものを、もう少していねいに育てます(第I部)。それから、人類が水とどう付き合ってきたかの長い歴史へ。水を引いて文明をきずいた話、川を神として祀った話、日本の村々が水を分け合ってきた話(第II部〜第IV部)。やがて近代になり、人は川を堤防で締め切って、安全と引き換えに、何かを失います(第V部)。そして現代、流域という古くて新しい見方が、思想として、また、これからの暮らしと防災の枠組みとして、よみがえってくるまで(第VI部〜第VIII部)。
姉の蔵書「庭の人文誌」が、囲い込みに始まり、囲いをほどくところで終わったように、この蔵書も、ひとつの大きな弧を描きます。水を囲い込んだ人類が、長い時間をかけて、もう一度、水の流れに自分の暮らしを沿わせていく。その物語です。
一本の線が伝えるもの
最初の回で確かめたかったのは、たったひとつのことです。大地には、二種類の線が引かれている、ということです。
ひとつは、人間が引いた線。住所、地番、塀、行政の境界。所有を定め、内と外を分ける線です。もうひとつは、水が引いた線。尾根を境に、雨の行き先を分け、ひとつの川に集まる土地をまとめる線です。私たちはふだん、一枚目の地図だけで暮らしています。けれど、足もとには、もう一枚の地図が、ずっと前から敷かれています。その地図の上では、あなたの家も、隣町も、上流の森も、海も、一本の水の流れでつながっています。
次回は、その水の線の、いちばんの要を見ていきます。一粒の雨の運命を分ける線、分水嶺(ぶんすいれい)です。それは、遠い山の上だけでなく、じつは、あなたの家のすぐ近くにも走っています。
参考にした資料
- 岸由二『「流域地図」の作り方 ── 川から地球を考える』(ちくまプリマー新書, 2013)
- YAMAP MAGAZINE「流域の観点で、足もとから雨降る地球の大地をとらえなおす」(岸由二インタビュー) https://yamap.com/magazine/55224
- (姉妹蔵書「庭の人文誌」第I部「囲い込みとは何か」)
── この章は、蔵書「流域の人文誌」の一冊です。
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