庭と農の境が溶けるとき

前回は、土のなかの見えない生命に庭をゆだねる話でした。その「委ねる」をもう一歩進めると、おどろくべきところにたどり着きます。庭と農の境い目が、すっかり溶けてしまうのです。今回は、日本で育った自然農と協生農法の世界を見ていきます。

第I部のはじめを思い出してみてください。庭と農は、もともと双子のようにいっしょに生まれたものでした。土を耕し、植物を育てる。その営みが、食べるための畑にも、めでるための庭にもなっていったのです。これから見る庭は、その双子をもう一度ひとつに戻そうとします。

わら一本の革命 ── 福岡正信の「無」

日本には、世界じゅうへ影響を与えた農の思想家がいます。福岡正信です。1975年に出した『わら一本の革命』で、彼はおどろくべき農のかたちを示しました。

その農法は、四つの「しない」でできています。耕さない。除草しない。肥料をやらない。農薬を使わない。ふつうの農が「する」としてきたことを、ほとんどしないのです。かわりに、耕さない田畑に種をじかにまきます。種を粘土でくるんだ団子をまく古くからのやり方も、彼が見直して広めたものです。楽をするための方法とは違います。根っこには「無」の哲学がありました。人間が手を加えないことのなかにこそ、ゆたかさがある、という考えです。

福岡の本は二十をこえる言葉に翻訳され、彼は「アジアのノーベル賞」とも呼ばれるマグサイサイ賞も受けました。晩年、彼はその思想を、砂漠を緑に変える試みにまで広げていきます。自然にすべてをまかせる。これまで見てきた「委ねる」の、もっとも極端な地点がここにありました。

人の手を少し戻す ── 川口由一の自然農

ただ、「何もしない」という言葉には気をつけたいところがあります。文字どおり「ほったらかし」と受け取ると、たいていうまくいきません。このことをはっきりさせたのが、川口由一です。

川口も、福岡の自然農法に影響を受けた一人でした。けれど実際に田畑に立つなかで、彼は人の手を少しだけ戻しました。苗を育てる床をつくる。必要な草は刈る。それでも草や虫を敵とはしない。彼の自然農は、農を作業にとどめず、一つの生き方として語ります。福岡の徹底した「無」に対して、川口は、人がていねいに寄りそう余地を残したのです。

ここで、第VIII部を通じてくりかえし出てきたことが、また現れます。「委ねる」とは、手をすっかり放すこととは違う、ということです。自然の働きをよく見て、必要なときだけそっと手を添える。放任とも支配とも違う、第三の関わり方です。

協生農法 ── 直観を科学で書きなおす

福岡の「無」の直観を、現代の科学の言葉でとらえなおす試みも生まれています。協生農法、シネコカルチャーと呼ばれる農のかたちです。中心にいるのは研究者の舩橋真俊です。

協生農法も、耕さず、肥料も農薬も使いません。福岡の農との違いは、たくさんの種類の植物をぎゅっと混ぜて、密に植えることです。すると植物どうし、虫どうし、土の生命どうしが複雑に支え合い、生態系が自分で自分を組み立てていきます。その自己組織化の力を、多面的に生かすのです。アフリカの砂漠化した土地では、百五十ほどの在来の植物を導入して、一年で砂漠化を押し戻したと、ソニーの研究所が報告しています。

ここには、おもしろい重なりがあります。耕さず、肥料も農薬も使わないところは、福岡の農とよく似ています。ちがうのは、舩橋がそれを生態学や数理科学の言葉で組み立て、人が手を加えて、植物の種類を自然のままより増やそうとするところです。直観の農と科学の農が、ここで向かい合っているのです。

庭と農は双子だった

自然農と協生農法は、庭の歴史にとって大切なことを教えてくれます。

農の話のようでいて、じつは庭の話でもあるのです。耕さず、たくさんの植物を混ぜて、生態系にまかせる畑。それはもう、ながめても美しいひとつの庭です。食べることとめでること、農と庭が、ここでふたたびひとつに溶け合います。第I部で双子として生まれた両者が、長い分かれ道の果てに、もう一度出会いなおすのです。これらが日本で育った思想であることも、心に留めておきたいところです。高温多湿で生命の勢いが強いこの風土だからこそ、「自然にまかせる」発想が独自の深まりを見せたのでしょう。

庭と農の境が溶けるが伝えるもの

庭と農の境が溶ける庭は、これからの庭のもっとも根本的な姿を見せてくれます。

人がすべてを決めてつくり上げるのをやめ、生態系そのものに自分を組み立てさせる庭です。耕さず、混ぜて植え、あとはいのちの自己組織化に委ねる。ただしその「委ねる」は放任とは別物で、自然をよく見て寄りそう、ていねいなまなざしとひとつでした。福岡の直観から舩橋の科学まで、日本のこの流れは「委ねる」という態度の奥行きを見せてくれます。


参考にした資料


── この章は、本棚「庭の人文誌」の一冊です。

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