食べられる庭、森のように実る場所

これまで見てきた、これからの庭は、おもに「ながめる」ための庭でした。今回は、そこに、もう一つの目的が加わります。食べる、ということです。森のように木々を積み重ね、果実や木の実を実らせる、食べられる庭の世界を見ていきます。

この考え方の出発点には、心を打つ物語があります。それは、収穫量のためでも、環境のためでもなく、たった一人の家族を思う気持ちから、生まれた庭でした。今回は、その物語から、始めます。

森を、まねる ── フォレストガーデン

イギリスのロバート・ハートという人が、1960年代から、自分の農場で、ある庭をつくりはじめました。フォレストガーデン、つまり「森の庭」です。

彼は、自然の森が、何層にも積み重なっていることに、目をつけました。いちばん上に、高い木。その下に、果実をつける低めの木。さらに下に、低木、草、地面をおおう植物。そして、地中の根と、木々にからむつる植物。森は、こうした層が重なり合って、たがいに支え合いながら、ほとんど人の手を借りずに育っています。ハートは、この森の仕組みを、食べられる植物で組み立てなおしました。背の高い実のなる木の下に、果樹、その下にベリーの茂み、足もとにハーブや野菜。何層もの、食べられる森です。

ここに、大きな利点があります。ふつうの菜園は、一年草が中心で、毎年、植えては収穫し、また植え直す、終わりのない手仕事の連続です。けれど、森の庭は、多年生の植物が中心なので、一度植えれば、何年も、ほとんど手をかけずに、実りを得つづけられます。森の自己組織化に乗ることで、人は、少ない労力で、長く収穫できる。これも、「委ねる」庭の、一つのかたちでした。

弟のための庭、ケアから始まった

このフォレストガーデンの出発点は、おどろくほど、個人的なものでした。

ハートには、重い障害のある弟がいました。彼が森の庭をつくったのは、もともと、この弟が、心おだやかに、体によい食べものを得ながら暮らせる、療養の環境を整えるためだったのです。つまり「食べられる庭」は、生産性や効率から始まったのではなく、たった一人の家族を慈しむ、ケアの心から始まりました。

これは、第VII部で見たことと、深くつながっています。庭が、応えてくれる相手であり、世話をし、世話をされる関係の場であったこと。ハートの森の庭は、その「ケアとしての庭」の、もっとも純粋な姿です。そして、果実の実る楽園という像は、第II部で見たエデンの園、失われた楽園そのものでもあります。食べられる庭は、ケアの心で、もう一度、実りの楽園を地上につくろうとする試みだったのです。なお、ハートは、日本の賀川豊彦が説いた「立体農業」、つまり木々を立体的に組み合わせて土地を生かす考え方からも、イギリスのダグラスという人の著作を介して、間接的に影響を受けたと言われています。

パーマカルチャー ── 永続する暮らしの設計

このフォレストガーデンの考え方は、もっと大きな思想のなかに、組み込まれていきます。パーマカルチャーです。

オーストラリアのビル・モリソンとデヴィッド・ホルムグレンが、1978年に『パーマカルチャー・ワン』という本で、この言葉を世に出しました。permanent(永続する)と agriculture(農)を合わせた造語です。自然の生態系を手本にして、永くつづく、食と暮らしの仕組みを設計しよう、という考え方です。

その根っこにあるのも、「自然に逆らわず、自然とともに働く」という姿勢でした。彼らは、後に、三つの倫理を掲げます。地球への配慮、人への配慮、そして、ゆとりを公平に分かち合うこと。土地を分割し、所有し、収奪する近代の農業とは反対に、境界を循環でつなぎ、永くつづく仕組みをつくる。フォレストガーデンの森の層も、このパーマカルチャーの大きな設計のなかに、しっかりと位置づけられていきました。

日本の土地で、どう実らせるか

ただし、ここでも、気をつけることがあります。どんな果樹を、どう積み重ねるかは、その土地の気候によって、まるで変わります。イギリスの涼しい気候で育つ森の庭を、そのまま日本に持ち込んでも、高温多湿の夏や、ちがう虫の害に、うまく対応できません。食べられる森は、その土地の気候と、そこで育つ食べものに合わせて、組み立てなおす必要があります。

そして、ここで思い出したいのは、日本には、もともと、よく似たものがあった、ということです。里山です。薪をとる雑木林、ため池、田んぼ、そして木の実や山菜の実る斜面。人の暮らしと、食べものと、生き物が、ひとつにつながった風景。里山は、何百年もかけて育てられてきた、日本ならではの「食べられる森」だと言えます。海外のフォレストガーデンの考え方は、日本では、この里山の知恵と出会いなおすことで、はじめて、深く根づくのです。

里山だけでは、ありません。歴史をさかのぼると、日本には、町ぐるみで「食べられる庭」を試みた例さえあります。江戸時代のはじめ、仙台藩を開いた伊達政宗は、家臣の屋敷に、飢饉への備えとして、栗・梅・柿といった実のなる木や竹を、そして敷地の境には杉を植えるよう、奨めたと伝えられています。現代の研究者は、この植樹の奨励を、屋敷を自給的な「食べられる庭」に変えていく試みだった、と読み解いています。こうした屋敷の緑に、寺社の林や、広瀬川の河畔、青葉山の緑が重なって、のちに「杜の都」と呼ばれる、仙台の緑の厚みが育っていきました。ただし、「杜の都」という呼び名そのものは、明治の終わりから大正にかけて広まったもので、政宗が、はじめからその言葉を思い描いていたわけではないようです。

食べられる庭が伝えるもの

食べられる庭は、私たちに、これからの庭の、もう一つの顔を見せてくれます。

それは、ながめるだけでなく、実りを分けてくれる庭。森の層をまねることで、少ない手間で、長く収穫できる庭。そして、その出発点に、たった一人を慈しむケアの心があった庭です。庭と農の境い目が、ここで、静かに溶けはじめます。果実の実る楽園を、自分の手でつくる。それは、失われた楽園を、もっとも具体的なかたちで、取り戻そうとする試みでもあります。

次回は、これからの庭の、いっそう思いきった姿を見ていきます。庭の主役を、人ではなく、虫にゆずる庭。生き物のための庭、多自然ガーデンの世界です。


参考にした資料

  • Robert Hart『Forest Gardening: Cultivating an Edible Landscape』(Green Books, 1991)
  • James Sholto Douglas & Robert Hart『Forest Farming』(Rodale Press, 1976、賀川豊彦の立体農業をハートに媒介した著作)
  • Bill Mollison & David Holmgren『Permaculture One』(1978)
  • パーマカルチャーの三つの倫理(本人公式) https://permacultureprinciples.com/ethics/
  • 仙台市「『杜の都』のいわれ」 https://www.city.sendai.jp/hyakunen-chose/kurashi/shizen/midori/shinse/kids/iware.html
  • 溝田浩二「救荒植物を利用した食教育・環境教育・防災教育の可能性」(宮城教育大学環境教育研究紀要 第17巻, 2015)

── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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