種からの草原、灌水しない庭

前回のナチュラリスティックガーデンは、植物の群れに、落ち着き先を委ねる庭でした。今回は、その「委ねる」を、もう一歩進めた庭を見ていきます。種をまいて、草原そのものを立ち上げる試みと、水を一滴もやらずに育てる庭です。どちらも、おもにイギリスで育った考え方です。

ここには、第IV部で見た、あの「芝生」の物語の、ちょうど裏返しがあります。手間と水をかけて、青々と刈りそろえる芝生。その正反対の方向に、これからの庭は、歩きはじめています。

種から、草原を立ち上げる

イギリスのシェフィールド大学で、ジェームズ・ヒッチモウやナイジェル・ダネットを中心とする研究者たちが、ある方法を確立しました。一本ずつ苗を植えるのではなく、種をまいて、草原そのものを、いちから育てる方法です。

何種類もの草花の種を混ぜてまくと、芽が出て、せめぎ合いながら、ひとつの植物のまとまりが立ち上がっていきます。庭師は、どこに何を咲かせるかを、細かく決めません。種の組み合わせと、まく場所の条件を選んだら、あとは、植物たちが、自分で草原をつくっていくのに、まかせます。手をかける量は、ぐっと少なくてすみます。それでいて、季節ごとに花が移ろい、虫が集まり、生き物のにぎわう草地ができあがるのです。

この方法は、公共の場所で、大きく花ひらきました。2012年のロンドンオリンピックの公園は、種からまかれた、あざやかな草原で彩られました。シェフィールドの街なかでは、車道だったところを、雨水を受けとめる草地の帯に変える試みも進みました。整然と植え込まれた花壇でも、刈りそろえた芝生でもない、種からひとりでに立ち上がる草原。これも、自然に委ねる庭の、一つのかたちです。なお、こうした種まきの草原は、前回の宿根草中心の庭とは、一年草を多く使う点で、手法が少し違います。けれど、どちらも、植物のまとまりに、その後を委ねる庭であることに、変わりはありません。

水をやらない庭、「適地適植」

もう一つの流れは、水とのつきあい方を、根本から変えました。中心にいるのは、ベス・チャトーという庭師です。

チャトーは、1991年、イギリスに、ある庭をつくりました。もとは、駐車場だった、乾いて、やせた土地です。ふつうなら、土を入れかえ、水を引いて、なんとか植物が育つようにするところです。けれど彼女は、そうしませんでした。土はそのままに、その乾いた土地でも、もともと元気に育つ植物だけを選んで植えたのです。そして、おどろくことに、その庭は、つくられてから一度も、水やりをされていません。雨だけで、生きています。

彼女の標語が、その考え方を、よく表しています。「適した植物を、適した場所へ」。乾いた土地を、植物の都合に合わせて作りかえるのではなく、その土地の条件に、もともと合った植物を選ぶ。土地と戦うのではなく、土地の声を聞く。これも、「委ねる」の、一つの深いかたちです。乾いてやせた土地は、解決すべき問題ではなく、その土地ならではの庭を生む、出発点になりました。

芝生を「やめる」という動き

ここで、第IV部を思い出してみてください。私たちは、長い時間をかけて、青々とした芝生を「つくって」きました。水をやり、肥料をやり、せっせと刈りそろえる、手のかかる緑の絨毯です。いま、世界では、その芝生を、逆に「やめる」動きが広がっています。

たとえば、イギリスの保全団体がはじめた「ノー・モウ・メイ(五月は刈らない)」という呼びかけ。五月のあいだ、芝を刈らずにおくと、芝生のなかから野の花が咲き、蜂や蝶が集まります。刈りそろえることをやめるだけで、庭が、生き物のための場所に変わるのです。芝生を完璧に保つことが「良い庭」だとされてきた常識が、ここで、静かにひっくり返ります。

そして、こうした流れの背景には、気候の変化があります。水が足りなくなり、夏が暑くなる時代に、たっぷり水をやらないと保てない庭は、だんだん立ちゆかなくなります。水をやらず、手をかけすぎない庭は、これからの気候に合った、現実的な庭でもあるのです。

日本では、どう受けとめるか

ただし、ここでも、立ち止まっておきたいことがあります。チャトーの庭が応えたのは、「乾いた」土地の問題でした。日本の悩みは、しばしば、その逆です。夏の蒸し暑さや、降りすぎる雨に、植物が耐えられない。だから、乾燥に強い植物をそのまま並べても、日本では、うまくいきません。

けれど、その奥にある考え方は、そっくり通じます。「適した場所に、適した植物を」。土地と戦うのではなく、土地の条件を、よく見て、それに合う植物を選ぶ。じつは、日本の庭は、昔から、これを得意としてきました。京都の湿った気候だからこそ美しく育つ、苔の庭などは、その見事な例です。海外の方法を、そのまま持ち込むのではなく、その土地の気候に合った植物と方法を、選びなおすこと。それこそが、これからの庭の、大切な作法になります。

メドウとドライガーデンが伝えるもの

種からの草原と、水をやらない庭は、私たちに、これからの庭の、もう一つの態度を見せてくれます。

それは、手をかけ、水をかけ、思いどおりに整える庭から、手を引き、土地にまかせる庭へ、という転換です。種をまいて、あとは植物にまかせる。土地の条件を変えるのではなく、それに合う植物を選ぶ。そして、芝生を完璧に保つことをやめ、生き物に場所をゆずる。どれも、自然と戦うのをやめて、自然に寄りそう方向への、一歩です。

そして、その寄りそい方は、土地の気候によって、まるで違ってきます。次回は、これからの庭の、また別の側面を見ていきます。ながめるだけでなく、食べることのできる庭。森のように積み重なる、食べられる庭の世界です。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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