観光客的な庭、「軽い」関わりを擁護する

ここまで、植物との深い関わりや、終わらない庭仕事の手ごたえについて、語ってきました。けれど、こう感じた方も、いるかもしれません。「自分は、そこまで本気で、土をいじりたいわけではない。ただ、部屋に観葉植物を置いて、緑のある雰囲気を、気軽に楽しみたいだけだ」と。

今回は、その、もっと「軽い」関わり方について、考えます。本気で世話をするわけではない、雰囲気を楽しむだけの関わり。それを、けっして、見下すべきではない。むしろ、そこにこそ、大切な入口がある、という話です。

観光客としての、植物好き

ここで、一つの、面白い考え方を借りてみます。「観光客」という見方です。

観光客とは、その土地に本気で住む人でも、まったくの無関係な人でもない、第三の立場です。ふらりとやってきて、表面をながめ、写真を撮って、帰っていく。深くは関わらないけれど、まったくの無縁でもない。そんな、軽やかな存在です。

じつは、観葉植物を買う人の多くは、庭の「観光客」だと言えます。本気で土を耕し、虫や雑草と格闘したいわけではありません。欲しいのは、「植物のある暮らし」という、心地よいイメージのほうです。だから、見た目のよい鉢を選び、世話が面倒になれば、枯らしてしまい、また新しいものを買う。前に見た観葉植物のブームも、ある面では、この、軽やかな「緑のある暮らし」の消費だったと言えます。

「不真面目さ」を、見下さない

こうした、軽い関わり方を、本気の園芸好きは、しばしば、見下します。「あんなのは、本気で向き合っていない。ただ、イメージを消費しているだけだ」と。

けれど、ここで、立ち止まりたいのです。その「見下し」は、はたして、正しいのでしょうか。

「本気で関わる人だけが、植物に関わってよい」という考え方は、じつは、庭の世界を、とても狭くしてしまいます。それは、「本気で移住する覚悟のある人だけが、その土地に関わってよい」と言うのに、似ています。そう言ってしまえば、その土地は、やせ細っていくでしょう。むしろ、ふらりと訪れる、軽やかな人がいるからこそ、その世界に、思いがけない新しい風が、吹き込むのです。軽いこと、気軽なことには、それ自体の価値があります。観葉植物を気軽に楽しむ人を、「不真面目だ」と、けっして、見下すべきではないのです。

観光客は、ときどき、当事者になる

そして、ここからが、いちばん大切なところです。観光客は、ときどき、誤って、当事者になってしまうのです。

軽い気持ちで、雰囲気のために買った、一鉢の観葉植物。ある朝、その植物が、新しい葉を、一枚、ひらいているのに、気づきます。その瞬間、何かが、変わります。ただ消費するつもりだった人が、思わず、その葉に見入り、水をやり、世話をする人に、変わってしまう。「植物のある暮らし」というイメージを、消費しに来たはずの人が、いつのまにか、生きた植物との、本当の関係のなかに、足を踏み入れているのです。

これは、計画されたことではありません。軽く来た人が、誤って、深いところに、落ちてしまう。本人も気づかないうちに、お客さんが、当事者に、なってしまう。前々回までに見た、応えてくれる相手との関係や、終わらない庭仕事の手ごたえ。それらは、こうして、軽い入口から、ふいに、始まることがあるのです。

入口を、ひらいておく

ここから、一つの、大切な姿勢が見えてきます。軽い関わりを、深い関わりへの「入口」として、歓迎する、という姿勢です。

緑のある暮らしを、気軽に楽しみたい。その軽やかな思いを、「どうせイメージ消費でしょう」と、裁いてはいけません。むしろ、軽く来た人が、誤って、深いところに落ちる。その「すべり台」を、用意しておくほうがいい。なぜなら、軽く訪れた人の、何割かが、勝手に、生きた植物との関係に、はまり込んでいくからです。そして、それは、無理に「はめ込もう」としては、いけません。ただ、誤って、はまり込んでしまう、その余地を、残しておけばいいのです。

観葉植物を気軽に買う人は、「本当は庭が欲しくない、中途半端な人」では、ありません。その人は、緑の世界の、立派な観光客です。そして、その観光客的な軽さこそが、じつは、いちばん劇的に、深い関わりへと、すべり落ちていく入口なのかもしれないのです。

観光客的な庭が伝えるもの

「観光客」という視点は、私たちに、庭への関わりの、もう一つの大切な面を見せてくれます。

それは、軽く、気軽に、緑を楽しむ関わり方を、見下すべきではない、ということ。そして、その軽い関わりこそが、しばしば、深い関わりへの入口になる、ということでした。観光客は、ときどき、誤って当事者になる。だから、大切なのは、本気さを問うことではなく、軽く来た人が、誤って深くはまり込める、その余地を、ひらいておくことなのです。

次回は、ここまでの「庭への思い」を、思いがけない場所へと広げてみます。じつは、庭と呼ばれないのに、庭のように感じられる場所が、世の中には、たくさんあります。その不思議な場所たちが、私たちの問いに、大きな手がかりをくれるのです。


参考にした資料

  • 東浩紀『観光客の哲学』(ゲンロン, 2017/増補版 2023)
  • Robert Pogue Harrison『Gardens: An Essay on the Human Condition』(2008)
  • Wikipedia「Houseplant」 https://en.wikipedia.org/wiki/Houseplant

── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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