完成しない庭、「終わらなさ」という価値

前回は、植物が、ゆっくりと、不確かに、応えてくれる相手だ、という話をしました。今回は、その庭の、もう一つの大切な性質に目を向けます。庭は、けっして完成しない、ということです。

そして、ここからが、少し意外な話になります。庭が完成しないことは、欠点ではありません。むしろ、その「終わらなさ」こそが、私たちが、心の底で求めているものなのではないか。今回は、そのことを、考えてみたいと思います。

庭は、完成しない

庭を持ったことのある人なら、よく知っているはずです。庭は、いつまでたっても、完成しません。

植えた木は、思った以上に大きくなりすぎます。意図しない場所に、苔が広がります。去年うまくいったことが、今年は、なぜか通用しません。雑草は、抜いても抜いても、また生えてきます。庭は、つくり手の思いを、たえず裏切り、たえず、手直しを要求してきます。「これで完成だ」という日は、けっして、やってこないのです。

第III部で見た、枯山水の砂紋を、僧が毎日引き直した話。第V部で見た、盆栽を、何代にもわたって世話しつづけた話。あれらは、庭の、この「終わらなさ」を、もっとも純粋に体現したものでした。庭とは、本質的に、終わらないものなのです。

完成品に、疲れている

ここで、私たちの、ふだんの暮らしを、ふり返ってみましょう。

私たちのまわりには、完成品が、あふれています。スマートフォンは、触れたとおりに、動きます。動画は、思いどおりに、飛ばせます。注文したものは、注文したとおりに、届きます。世界は、私たちの思いどおりに、即座に、完全に応えてくれるように、どんどん最適化されています。とても、便利です。

けれど、その便利さのなかで、私たちは、いつのまにか、ただ受け取るだけの存在に、なってしまっているのかもしれません。完成品は、私たちを、「お客さん」のままにしておきます。ボタンを押せば、思いどおりのものが、手に入る。そこには、自分が何かに、本気で関わっているという、手ごたえがありません。じつは私たちは、この「思いどおりになる完成品」ばかりの世界に、どこか、疲れているのではないでしょうか。

終わらないものを、買いに来る

そこに、庭が、登場します。

庭は、私たちを、お客さんのままには、しておいてくれません。手を入れろ、と要求してきます。そして、入れた手は、しばしば、裏切られます。すると、また手を入れ直す。その、思いどおりにならず、手直しをくり返す、終わりのない往復のなかで、私たちは、久しぶりに、ある感覚を取り戻します。「自分は、いま、何かに、本気で関わっている」という、生きた手ごたえです。

ここに、おどろくべき逆説があります。思いどおりになる完成品に疲れた人間が、わざわざ、「思いどおりにならず、けっして完成しないもの」を、求めて買いに来る。庭とは、完成しないことを、その価値とする、ほとんど唯一の商品なのです。人が庭に求めているのは、じつは、「完成した庭」ではありません。「終わらない庭仕事」のほうなのです。

「終わらなさ」という、価値

ここまで来て、最初の問いへの、さらに踏み込んだ答えが、見えてきます。

「庭が欲しい」と言うとき、人が本当に求めているのは、できあがった、完璧な庭ではないのかもしれません。求めているのは、たえず手を入れつづけられる、終わらない関わりのほうです。思いどおりにならず、何度も裏切られ、それでも手をかけつづける。その、終わらない往復そのものが、欲しいのです。完成された便利な世界のなかで、私たちは、「完成しないこと」を、心の底で、求めている。これは、人の欲望の、ふしぎな、けれど、深いねじれです。

そして、ここには、一つの、考えておくべきことがあります。もし、庭を「お手軽です」「手間がかかりません」「これで解決します」と語って売ったとしたら、どうなるでしょうか。その瞬間、庭は、ほかの「思いどおりになる完成品」の仲間に、なってしまいます。そして、人が本当に求めていた「終わらなさの手ごたえ」は、消えてしまうのです。庭の本当の価値を語ろうとすれば、「終わらないこと」を、むしろ正直に、伝えるべきなのかもしれません。

終わらなさが伝えるもの

「終わらなさ」という視点は、私たちに、庭への欲望の、もっとも逆説的な層を見せてくれます。

それは、庭がけっして完成しないこと。そして、思いどおりになる完成品に疲れた現代人が、わざわざ、その「完成しないもの」を求めること。人が庭に求めているのは、できあがった庭ではなく、終わらない庭仕事そのもの、思いどおりにならないものと格闘しつづける手ごたえなのです。完成しないことが、価値になる。庭は、そんな、めずらしい存在なのです。

次回は、もう少し肩の力を抜いて、もっと気軽な、庭との関わり方について考えます。本気で土をいじるわけではない、観葉植物を気軽に置くような、「軽い」関わり。それを、けっして、見下すべきではない、という話です。


参考にした資料

  • 東浩紀『訂正可能性の哲学』(ゲンロン, 2023)
  • Robert Pogue Harrison『Gardens: An Essay on the Human Condition』(2008)
  • Encyclopaedia Britannica「Gardening」 https://www.britannica.com/topic/gardening

── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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