庭は、所有するものか、関わるものか

前回は、「庭が欲しい」という思いの根に、「失われた何かへ帰りたい」という願いがある、という話をしました。今回は、その問いを、もう少し具体的な角度から考えてみます。

私たちが「庭が欲しい」と思うとき、私たちは、庭を「所有」したいのでしょうか。それとも、庭と「関わり」たいのでしょうか。この二つは、よく似ているようで、じつは、まったく違うものです。そして、この違いを見分けることが、最初の問いに答えるための、大切な手がかりになります。

所有としての、庭

一つの考え方は、庭を「所有するもの」として、とらえることです。

この見方では、庭は、手に入れて、自分のものにする、一つの財産です。庭付きの家を買い、立派な庭を据えつけ、それを所有する。第IV部で見た「庭付き一戸建て」の夢も、第V部で見たチューリップへの熱狂も、ある面では、この「所有したい」という欲望と、結びついていました。よい庭を持っていることは、豊かさや、よい暮らしの、しるしになります。

この見方では、庭は、車や、家具や、ブランド品と、同じように扱われます。手に入れれば、それで完成です。あとは、所有しているという満足を、味わえばよい。庭は、買って、持つことで、得られるもの。そういう考え方です。

関係としての、庭

けれど、庭には、もう一つ、まったく違う側面があります。庭を「関わるもの」として、とらえる見方です。

この見方では、庭は、所有する財産ではなく、世話をしつづける、生きた相手です。水をやり、草をむしり、季節ごとに手を入れる。そして、植物は、その手入れに、ゆっくりと、応えてくれます。庭は、買った瞬間に完成するのではなく、関わりつづけることで、たえず変化し、育っていきます。それは、「持つ」というより、「付き合う」に近いものです。

ここで、ブランド品と、庭との、決定的な違いが見えてきます。ブランドのバッグは、買った瞬間に、すべてが手に入ります。そして、こちらが何をしても、向こうは、何も応えません。完結しています。けれど、庭はそうではありません。買った瞬間には、まだ何も手に入っていない。手をかけ、世話をして、はじめて、植物は応えてくれる。庭は、所有する「もの」ではなく、関わり合う「相手」なのです。

所有できない、ということ

ここに、見落とされがちな、大切な真実があります。庭は、本当の意味では、「所有」できない、ということです。

なぜなら、庭は、生きているからです。生きているものは、こちらの思いどおりにはなりません。手入れをやめれば、たちまち荒れていきます。世話をしなければ、枯れてしまいます。庭を、ブランド品のように、買って、放っておいて、所有の満足だけを味わう、ということは、できないのです。

だから、庭を、ただの財産として、所有しようとした人は、しばしば、がっかりすることになります。立派な庭を据えつけても、世話をしなければ、それは荒れ果てた重荷に変わってしまう。庭がくれる、本当の満足は、「所有している」という事実からではなく、「関わりつづけている」という、生きた関係から、生まれるのです。庭は、持つことではなく、関わることでしか、味わえないものなのです。

本当は、関わりたい

ここまで来ると、最初の問いに、もう一つの答えが見えてきます。

「庭が欲しい」と言う人の多くは、自分では、庭を「所有したい」と思っているのかもしれません。けれど、その思いの、本当の中身は、じつは「所有」ではなく、「関わり」なのではないでしょうか。生きているものと、関わりたい。自分の手に、応えてくれる相手が、ほしい。世話をし、世話をされる、その関係のなかに、身を置きたい。「庭が欲しい」という思いは、しばしば、この「関わりたい」という願いが、「所有したい」という言葉に、すりかわって現れたものなのです。

もし、そうだとすれば、庭を売る、ということの意味も、変わってきます。人が本当に求めているのが、所有ではなく関わりなら、ただ立派な庭を据えつけて引き渡すことが、答えではない、ということになります。大切なのは、その人が、生きた庭と、長く関わりつづけられるかどうか、なのです。

所有と関係が伝えるもの

「所有か、関係か」という問いは、私たちに、庭への欲望の、もう一つの深い層を見せてくれます。

それは、庭が、本当の意味では所有できない、生きた相手であること。そして、私たちが「庭が欲しい」と思うとき、その思いの本当の中身は、「所有したい」ではなく、「関わりたい」なのかもしれない、ということでした。人が庭に求めているのは、持つことの満足ではなく、応えてくれる相手との、生きた関係なのです。

では、その「応えてくれる相手」との関係は、私たちのなかの、いったい何を満たしているのでしょうか。次回は、その、もっとも深いところに、目を向けてみたいと思います。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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