失われた楽園へ、帰ろうとする心

いよいよ、最後の第VII部です。このシリーズは、一つの問いから始まりました。「多くの人は、庭そのものが欲しいのではなく、庭を通して何かを得たいのではないか。では、本当は、何を求めているのか」。ここまでの長い旅をふまえて、いよいよ、この問いに、正面から向き合っていきます。

最初に、ここまでの全体を貫いてきた、一つの大きなテーマを、あらためて取り出してみたいと思います。それは、「失われた楽園へ、帰ろうとする」という、人の心の動きです。

くり返された、「回帰」

このシリーズをふり返ると、おどろくほどくり返し、同じ動きが現れていたことに気づきます。庭とは、何かへ「帰ろう」とする試みだった、ということです。

ユダヤ・キリスト教の人びとは、失われたエデンの園を、取り戻そうとしました。仏教の人びとは、彼岸の極楽浄土を、この世にうつそうとしました。そして、第VI部で見た進化の理論は、私たちが理想とする庭の姿が、人類が生まれ育った、はるか昔のサバンナの記憶かもしれない、と教えてくれました。哲学者は、世間を離れて、自分の庭に帰ることを説き、物語のなかの庭は、荒れ果てた園を、もとの命あふれる姿へと、よみがえらせました。

時代も、文化も、信仰も違うのに、人は、くり返し、庭を「帰る場所」として思い描いてきました。失われた何かを、もう一度、取り戻すための場所。それが、庭だったのです。

なぜ、人は「帰ろう」とするのか

では、なぜ、人は、これほどまでに、庭を通して「帰ろう」とするのでしょうか。

それは、私たちが、どこかで、「離れてしまった」という感覚を、抱えているからではないでしょうか。自然から、離れてしまった。生命のつながりから、離れてしまった。何か、まるごと満たされていた、もとの状態から、離れてしまった。そんな、根深い別れの感覚です。

人は、この別れを、なんとか埋めようとします。離れてしまったものへ、もう一度、近づこうとします。そして、その「帰ろう」とする願いが、庭というかたちをとるのです。庭をつくり、緑を育て、土にふれることは、私たちが、いつのまにか離れてしまった、あの満たされた状態へ、帰ろうとする、ささやかな試みなのかもしれません。「庭が欲しい」という思いの、いちばん深いところには、この「帰りたい」という、切実な願いが、流れているように思えます。

帰れない、ということ

けれど、ここに、避けて通れない、一つの真実があります。私たちは、本当には、帰れない、ということです。

失われた楽園は、もう、失われています。エデンの園には、炎の剣を持つ番人が立ち、二度と中へは入れません。人類が育ったサバンナにも、無垢だった子ども時代にも、私たちは、もう戻ることはできません。離れてしまった、あの満たされた状態へ、完全に帰りつくことは、けっしてできないのです。

だからこそ、庭は、けっして完成しないのかもしれません。私たちは、庭をつくり、手を入れ、また手を入れます。けれど、どれだけ手をかけても、「これで、完全に帰りついた」という地点には、たどり着けません。庭は、帰ろうとして、けっして帰りつけない、終わりのない試みなのです。そして、まさにそのことが、「庭が欲しい」という思いが、どこまでも満たされきらない理由なのではないか、と思います。

「庭が欲しい」の、根にあるもの

ここまでをまとめると、一つの、深い答えの輪郭が、見えてきます。

「庭が欲しい」という思いの、根のところにあるもの。それは、おそらく、何か特定の「もの」が欲しい、ということではありません。それは、いつのまにか離れてしまった、まるごと満たされていた状態へ、もう一度帰りたい、という願いです。失われた楽園へ、失われた自分のふるさとへ、帰りたい。その、深く、切実な郷愁が、「庭が欲しい」という、ささやかな言葉になって、現れているのではないでしょうか。

けれど、その帰還は、完成しません。だから、私たちが手にするのは、「帰りついた」という安らぎではなく、「帰ろうとしつづける」という、終わらない営みのほうなのです。庭がくれるのは、到達ではなく、その途上の手ごたえです。このことの意味を、これからの章で、もう少し、ていねいに考えていきたいと思います。

楽園への回帰が伝えるもの

「失われた楽園への回帰」というテーマは、私たちに、庭への欲望の、もっとも深い層を見せてくれます。

それは、人が、くり返し、庭を「帰る場所」として思い描いてきたこと。その奥に、自然や、生命や、満たされた状態から「離れてしまった」という、根深い感覚があること。そして、本当には帰れないからこそ、庭は終わらず、欲望も満たされきらない、ということでした。「庭が欲しい」とは、もしかすると、「帰りたい」という、人のもっとも古い願いの、もう一つの言い方なのかもしれません。

次回は、この問いを、もう少し具体的な角度から考えます。私たちは、庭を「所有」したいのでしょうか。それとも、庭と「関わり」たいのでしょうか。この二つの違いに、大切な手がかりがあります。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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