前回のバイオフィリアは、人が生まれつき、自然や生命に惹かれる、という仮説でした。今回は、もう一歩ふみこみます。では人は、自然のなかでも、どんな種類の風景に、とくに心惹かれるのでしょうか。
じつは、人が美しいと感じる風景には、ある共通した特徴があると言われています。そして、その特徴は、はるか昔、人類が生まれ育った場所の、記憶につながっているのかもしれません。今回は、そのことを説く、二つの考え方を訪ねます。眺望-隠れ家理論と、サバンナ仮説です。
眺望と、隠れ家
一つ目は、イギリスの地理学者ジェイ・アプルトンが、1975年に唱えた、眺望-隠れ家理論です。少し難しい名前ですが、考え方は、とてもシンプルです。
アプルトンは、こう考えました。人は、二つの条件を同時に満たす風景を、心地よく、美しいと感じる。一つは「眺望」、つまり、遠くまで見渡せること。もう一つは「隠れ家」、つまり、身を隠して、守られていられる場所があること。言いかえれば、「自分の姿は隠しながら、まわりはよく見える」場所です。
なぜ、こういう場所が心地よいのでしょうか。それは、はるか昔の、人類の生き残りに関わっています。遠くまで見渡せれば、獲物や、近づく危険を、いち早く見つけられます。そして、身を隠せる場所があれば、敵から、自分の身を守れます。見渡せて、かつ、隠れられる。この両方がそろう場所こそ、私たちの祖先が、もっとも安全に生きられる場所だったのです。だから私たちは、いまも、そういう風景に、安らぎを感じるのではないか。アプルトンは、そう考えました。木陰のベンチから、開けた芝生をながめるような場所が好きなのは、そのためかもしれません。
サバンナ仮説
二つ目は、サバンナ仮説と呼ばれる考え方です。アメリカの生物学者ゴードン・オリアンズらが、1980年代に唱えたものです。
人類は、アフリカのサバンナ、つまり、まばらに木が生え、草原が広がる土地で、進化してきたとされます。サバンナ仮説は、そのため、人は、サバンナによく似た風景を、生まれつき好むのではないか、と説きます。点々と木立があり、見晴らしのよい草地が広がり、近くに水があり、遠くまで見通せる。そんな風景です。
実際に、子どもを含む、さまざまな年齢の人びとに、いろいろな風景の写真を見せて、好みを尋ねた研究があります。その初期の研究では、サバンナのような風景を好む傾向が、報告されました。ただし、その後の検証では、結果は割れており、文化や慣れ、住んでいる土地の影響が大きいとする見方も、強まっています。サバンナへの好みは、誰にでも共通する本能、とまでは言いきれないのです。
庭は、ふるさとの風景か
ここで、はっとさせられることがあります。私たちが、心地よいと感じる庭の姿を、思い浮かべてみてください。
開けた、なめらかな芝生。ところどころに、木陰をつくる木立。近くには、池や水の流れ。そして、遠くまで見通せる眺め。これは、第III部で見た、イギリスの風景式庭園の姿と、おどろくほどよく似ています。そして同時に、サバンナの風景とも、よく似ているのです。点在する木、開けた草地、水、見晴らし。私たちが理想とする庭の風景は、もしかすると、人類が生まれ育った、あのサバンナの風景を、無意識になぞっているのかもしれません。
第IV部で見た、あの芝生への愛着さえも、この目で見ると、違って見えてきます。なめらかに開けた芝生は、私たちの祖先が安全に暮らせた、見晴らしのよい草原の、遠いおもかげなのかもしれない。庭とは、私たちが、はるか昔に離れてきた、ふるさとの風景を、もう一度つくり出そうとする試みなのではないか。そんなふうにも、思えてくるのです。
「楽園回帰」に、科学の裏づけ
ここで、このシリーズを貫いてきた、一つの大きなテーマが、思いがけず、科学とつながります。「失われた楽園への回帰」というテーマです。
第I部や第II部で、人は、失われた楽園を、庭というかたちで、くり返し取り戻そうとしてきた、という話をしました。エデンの園も、極楽浄土も、人が「帰りたい」と願う、失われた理想の場所でした。そして、いま見てきた進化の理論は、その「帰りたい場所」が、神話のなかだけのものではなく、私たちの体に刻まれた、人類のふるさとの風景の記憶かもしれない、と示唆します。
もちろん、これらも、まだ証明しきれていない、仮説です。けれど、もし、私たちが理想とする庭の姿が、人類のふるさとの風景の記憶だとすれば、「庭が欲しい」という思いは、私たちのもっとも深いところにある、ふるさとへの郷愁なのかもしれません。庭をつくることは、失われた故郷を、もう一度、自分のそばに呼び戻す営みなのです。
眺望と隠れ家が伝えるもの
二つの理論は、私たちに、緑への思いの、さらに深い層を見せてくれます。
それは、人が好む風景には、見渡せて、隠れられるという、生き残りのための条件が刻まれていること。そして、私たちが理想とする庭の姿が、人類が生まれ育った、サバンナの風景の記憶かもしれない、ということでした。庭への憧れの奥には、もしかすると、はるか昔のふるさとへの、体に刻まれた郷愁が、流れているのかもしれません。
次回は、この自然が、人の心と体に、実際にどんな良い働きをするのか、という問いを見ます。庭は、本当に人を癒やすのか。園芸療法と、緑の回復効果の話です。
参考にした資料
- Jay Appleton『The Experience of Landscape』(Wiley, 1975/改訂1996)
- Gordon H. Orians & Judith H. Heerwagen「Evolved Responses to Landscapes」(in The Adapted Mind, Oxford University Press, 1992)
- J. D. Balling & J. H. Falk「Development of visual preference for natural environments」Environment and Behavior 14(1), 1982
- Frontiers in Psychology「Pleistocene Hypothesis(サバンナ仮説の再検証)」(2022) https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2022.901799/full
── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。
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