バイオフィリア、人は生まれつき生命に惹かれるのか

前回は、哲学者たちが、庭を「よく生きること」の比喩として語った話を見ました。今回からは、同じ「なぜ人は緑に惹かれるのか」という問いを、科学の面から考えていきます。

ここで登場するのが、バイオフィリアという考え方です。これは、人が自然や生命に惹かれるのは、文化や教養によるものだけではなく、もっと深い、生まれつきの、本能的なものかもしれない、という仮説です。もしそうだとすれば、私たちが「庭が欲しい」と思う気持ちにも、意外なほど深い根があることになります。

バイオフィリアという、仮説

バイオフィリアという言葉を世に広めたのは、アメリカの生物学者、エドワード・O・ウィルソンです。この言葉そのものは、もともと別の文脈で使われていたものですが、ウィルソンが、進化生物学の考え方として、広く知られるものにしました。彼は、1984年に出した『バイオフィリア』という本のなかで、この考え方を打ち出しました。

バイオフィリアとは、「生命を愛すること」を意味する言葉です。ウィルソンの仮説は、こうです。人間には、自然や、ほかの生き物とのつながりを求める、生まれつきの傾向が、そなわっているのではないか。なぜなら、人類が歩んできた、長い長い進化の歴史の、そのほとんどの時間を、私たちの祖先は、自然のただなかで暮らしてきたからです。

考えてみてください。人類の歴史を一日にたとえれば、都市で暮らすようになったのは、ほんの最後の数分のことです。私たちの心や体は、その大部分を、森や草原といった、自然の環境のなかで形づくられてきました。だとすれば、私たちが自然に惹かれるのは、後から学んだ好みというより、体の奥深くに刻まれた、本能のようなものではないか。ウィルソンは、そう考えたのです。

その、証拠

この仮説を支える、いくつかの手がかりがあります。

まず、自然を好む気持ちが、文化や民族をこえて、広く見られることです。世界じゅうの人びとが、庭や、公園や、緑のある風景を好み、心をなごませます。病院の窓から緑が見える患者のほうが、回復が早いという報告もあります。人は、ペットや植物のそばにいることで、ストレスがやわらぎます。

逆に、自然から切り離されると、人は、どこか不調を感じます。緑のまったくない、コンクリートと画面だけの環境に長くいると、心が疲れていく。だからこそ、人は、お金を払ってでも、自然の見える部屋に住みたがり、わざわざ郊外の緑を求め、せまい部屋にも観葉植物を置くのです。こうした、人と自然との結びつきの強さは、たんなる好みを超えた、もっと根深いものを感じさせます。

庭への欲望は、本能なのか

もし、このバイオフィリアの仮説が正しいとすれば、私たちが庭や植物に惹かれる気持ちは、たんなる時代の流行ではない、ということになります。

それは、生命のそばにいたいという、人間に生まれつきそなわった、深い欲求の、あらわれなのです。第V部で見た、くり返される観葉植物のブームも、ガーデニングへの熱意も、緑を求めるあの強い思いも、すべて、この本能的なバイオフィリアの、表に出てきたかたちだと考えられます。私たちは、頭で考えて緑を好むのではなく、体の奥が、生命を求めているのかもしれません。

これは、このシリーズの最初の問いに、一つの答えを与えてくれます。「人は庭を通して、何を得たいのか」。その答えの一つは、もしかすると、私たちのなかに刻まれた、生命とつながりたいという、太古からの本能を、満たすことなのかもしれません。

ただし、これは仮説

ここで、ひとつ、ていねいに断っておきたいことがあります。バイオフィリアは、あくまで「仮説」だ、ということです。

人が自然を好むのが、本当に生まれつきの本能なのか、それとも、育つなかで学んだものなのか。これを、はっきりと証明するのは、簡単なことではありません。また、人は、自然のすべてを愛しているわけでもありません。蛇や、毒虫や、嵐を、私たちは、本能的に恐れます。自然には、惹かれる面と、恐れる面の、両方があるのです。

ですから、バイオフィリアは、人と自然の結びつきを説明する、一つの有力な見方ではあっても、それですべてが解けるわけではありません。それでも、人が、これほど広く、深く、緑を求めるという事実そのものは、私たちのなかに、何か根深いものがあることを、たしかに指し示しています。バイオフィリアは、その「何か」に近づくための、大切な手がかりなのです。

バイオフィリアが伝えるもの

バイオフィリアの仮説は、私たちに、緑への思いの、深い根を考えさせてくれます。

それは、人が自然や生命に惹かれるのは、進化の歴史のなかで刻まれた、生まれつきの傾向かもしれない、という見方でした。もしそうなら、私たちの「庭が欲しい」という気持ちは、ただの流行ではなく、生命のそばにいたいという、太古からの欲求の、あらわれなのです。

けれど、これは答えの、一つの面にすぎません。次回は、もう一歩ふみこんで、では人は、どんな種類の自然の風景に、とくに心惹かれるのか、という問いを考えます。そこには、はるか昔の、人類のふるさとの記憶が、関わっているのかもしれません。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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