哲学者の庭、「自分の庭を耕しなさい」

ここから第VI部です。これまで、庭の歴史や、庭をかたちづくる要素を、たどってきました。第VI部では、いよいよ、もっと根本的な問いに向き合います。そもそも、なぜ人は、これほどまでに、緑や庭に惹かれるのか。その理由を、まず哲学の面から、そして次回からは科学の面から、探っていきます。

最初に訪ねるのは、庭を、生き方の比喩として語った、二人の哲学者です。古代ギリシャのエピクロスと、18世紀フランスのヴォルテール。彼らにとって、庭を耕すことは、よく生きることそのものを意味していました。

エピクロスの「庭」、静かな満足

第III部で、古代ギリシャの哲学者エピクロスが、その学園を、ずばり「庭」と呼んだ話に、少しふれました。ここで、もう少し深く、その意味を見てみましょう。

エピクロスは、アテネの郊外の庭で、仲間たちとともに、質素に暮らしました。彼が説いたのは、富や名声や、世間での出世を追い求めることではありません。むしろ、そうした、心をかき乱すものから離れ、わずかなもので満ち足りて、心の平静を保って生きること。それこそが、もっとも幸福な生き方だ、と彼は考えたのです。

ここで、「庭」という言葉は、たんなる場所の名前を超えて、一つの生き方そのものを指すようになりました。喧噪を離れ、静かな庭で、親しい友と語らい、心穏やかに生きる。庭で簡素に暮らすという選択が、幸福についての、一つの哲学になったのです。庭は、よく生きるための、心の拠りどころでした。

ヴォルテール「自分の庭を耕しなさい」

時代をくだって18世紀、フランスの哲学者ヴォルテールは、ある物語の最後に、忘れがたい一言を残しました。「自分の庭を耕さなければならない」という言葉です。原文では「私たちの庭を耕さねばならない」と複数形で書かれていて、一人で世間に背を向けるというより、身近な人とともに、自分の手の届く場所を耕していく、という響きがあります。

その物語の主人公は、世界じゅうを旅して、戦争や、災害や、人間のおろかさといった、ありとあらゆる不幸と苦難を、経験します。そして、この世界は、はたして最善のものなのか、神はなぜ悪を許すのか、といった、大きくて答えの出ない問いに、振りまわされつづけます。けれど、物語の最後に、主人公がたどり着いた結論は、意外なほど、地に足のついたものでした。「あれこれと、大きな問いを論じるのは、もうやめよう。それより、自分の庭を耕そう」。

これは、深い知恵をふくんだ言葉です。手の届かない、大きすぎる問いに心をすり減らすのではなく、自分の目の前にある、小さな庭を、こつこつと手入れする。抽象的な議論ではなく、具体的な手仕事のなかに、生きる意味を見いだす。ヴォルテールは、庭を耕すという行為に、人が地に足をつけて生きるための、大切な知恵をこめたのです。

「自分の庭を耕す」という知恵

エピクロスと、ヴォルテール。二人の哲学者は、まったく違う時代に生きながら、よく似たことを、庭に託して語りました。

それは、手の届かない大きなものを追いかけて、心をすり減らすのをやめ、自分の目の前の、確かなものに、ていねいに関わって生きる、という知恵です。世間の野心や、答えの出ない不安から、ひととき退いて、自分の庭という、小さくても確かな世界を、こつこつと耕す。そのなかにこそ、ほんとうの満足と、心の平静がある、というのです。

ここで、「庭を耕す」ことは、そのまま「自分自身を耕す」ことでもありました。植物を育てるように、自分の心や暮らしを、こつこつと手入れし、整えていく。庭は、自分の有限の力を、どこに注ぐべきかを教えてくれる、生き方の比喩になったのです。

現代の私たちへ

この、哲学者たちの庭の知恵は、現代を生きる私たちにも、まっすぐに響いてきます。

私たちは、いま、手の届かない大きな情報や、答えの出ない不安に、たえずさらされて生きています。画面のなかには、世界じゅうの問題と、無数の声があふれ、心は、いつもどこか、落ち着きません。そんななかで、土にふれ、植物を育て、自分の手の届く小さな緑を、こつこつと世話する。その時間が、私たちの心を、静かに地に着けてくれることが、たしかにあります。

人が、いま、庭や植物に惹かれる理由の一つは、もしかすると、この「自分の庭を耕す」ことの、確かな手ごたえなのかもしれません。抽象的で、落ち着かない毎日のなかで、目の前の、具体的な、確かなものに関わりたい。その願いに、庭は、静かに応えてくれるのです。

哲学者の庭が伝えるもの

哲学者たちの庭の物語は、私たちに、人が庭に惹かれる、深い理由の一つを教えてくれます。

それは、世間の野心や、答えの出ない不安から退いて、自分の目の前の確かな世界を、ていねいに耕すことの、心の平静でした。庭を耕すことは、自分自身を耕すことであり、生きる意味を、具体的な手仕事のなかに見いだすことでもあったのです。「自分の庭を耕しなさい」という、二千年をこえて受け継がれてきた知恵は、いまも、私たちに、静かに語りかけています。

次回からは、この問いを、科学の面から見ていきます。人が緑に惹かれるのは、もしかすると、生まれつきの、本能的なものなのかもしれません。バイオフィリアと呼ばれる、その仮説を訪ねます。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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