花の熱狂、一輪が家一軒の値になったとき

前回の盆栽は、何十年もかけて、静かに、ていねいに世話をする、愛情のかたちでした。けれど、人が植物に向ける思いには、もっと激しく、ときに正気を失うほどの、別の顔もあります。熱狂、所有欲、そして、投機です。

今回は、第V部の最後として、その、植物をめぐる人間の熱狂の物語を見ます。一輪の花が、家一軒の値段にまでなった、チューリップ狂時代。ここには、庭や植物への思いの、複雑さが、くっきりとあらわれています。

一輪の花が、家一軒の値段に

17世紀のオランダで、信じがたいことが起こりました。チューリップの球根が、とほうもない値段で、売り買いされたのです。

チューリップは、もともとオランダの花ではありません。はるか中央アジアに源を持ち、トルコのあたりを経て、ヨーロッパに伝わった花でした。その鮮やかな色と、すっきりとした形は、たちまち人びとの心をとらえ、大流行します。とくに珍重されたのが、花びらに、炎のような複雑な模様が入った、めずらしい品種でした。

人びとは、競って、この珍しいチューリップを求めました。値段は、どんどんつり上がっていきます。やがて、たった一つの珍しい球根が、職人の何年分もの稼ぎや、家一軒に匹敵するほどの、とほうもない値段で取り引きされるようになりました。けれど、こうした熱狂は、長くは続きません。1637年ごろ、値段は、突然、崩れ落ちました。これは、記録に残るなかで、人類で最初の投機の熱狂、いわゆるバブルの一つとも言われています。ただし、近年の研究では、その被害は社会全体にではなく一部の裕福な商人に限られ、規模は後の時代にいくらか誇張されたとも指摘されています。

なぜ、人は花に熱狂したのか

なぜ、人びとは、一輪の花に、これほど熱狂したのでしょうか。

理由は、いくつか重なっています。まず、チューリップの花そのものの、あらがいがたい美しさ。次に、珍しい品種の、手に入りにくさ。そして、その美しい模様が、いつ、どのように現れるか、予測がつかなかったこと。さらに、それを高く売り買いできる、という投機の仕組み。これらが組み合わさって、人びとを、熱狂へと駆り立てたのです。

ここで、切ない事実を一つ。あの、もっとも珍重された、炎のような模様の花。じつは、あれは、ある植物の病気によって生まれたものでした。当時の人びとは、もちろん、そんなことは知りません。人びとが、家一軒の値で奪い合った美しさは、皮肉にも、植物が病んだしるしだったのです。植物は、ここで、もはや愛でる対象であることを超えて、富と欲望の渦の、中心に置かれていました。

くり返される、植物の熱狂

植物をめぐる、こうした熱狂は、チューリップだけのものではありませんでした。

19世紀のイギリスでは、ランをめぐる、激しい熱狂が起こりました。珍しいランを求めて、人びとは大金をつぎ込み、植物の狩人たちは、危険な土地へと、それを探しに分け入りました。前々回見た、シダ熱もまた、同じような熱狂の一つです。日本でも、朝顔や菊を、めずらしい姿に咲き分けることに、人びとが夢中になった時代がありました。

時代や場所が変わっても、人は、くり返し、植物に熱狂してきました。その美しさを求め、珍しさを競い、所有することに、心を奪われる。植物への愛は、ときに、こうした、激しく、抑えがたい情熱へと、燃え上がるのです。

庭への思いの、複雑さ

このチューリップ狂時代の物語は、私たちに、大切なことを思い出させてくれます。庭や植物への思いは、けっして、美しく、清らかなものばかりではない、ということです。

私たちは、つい、植物への愛を、自然との優しいつながりや、心の安らぎといった、おだやかなものとして思い描きがちです。けれど、その思いのなかには、所有したいという欲望、人より珍しいものを持ちたいという見栄、そして、富への欲もまた、分かちがたく、からみ合っています。人は、植物のために、身を持ちくずすほどの、激しい情熱を燃やすこともあるのです。

このことは、このシリーズの最初の問い、「人は庭を通して、本当は何を求めているのか」を考えるうえで、忘れてはならない一面です。庭が欲しいという思いは、純粋な自然への愛だけではなく、所有や、見栄や、競争心といった、もっと複雑な感情とも、結びついているのかもしれません。その複雑さを見すえることが、本当の答えに近づく道だと思います。

花の熱狂が伝えるもの

植物をめぐる熱狂の物語は、私たちに、人と植物の関わりの、もう一つの顔を見せてくれます。

それは、一輪の花が家一軒の値になるほどの、激しい投機であり、珍しさを競い、所有することに心を奪われる、抑えがたい情熱でした。植物への思いには、愛や安らぎだけでなく、欲望や、見栄や、競争心もまた、深くからみ合っているのです。人と植物の関わりは、私たちが思うよりも、ずっと複雑で、人間くさいものなのです。

さて、ここまでの第V部では、植物園から、温室、観葉植物、盆栽、そして花の熱狂まで、庭をかたちづくる要素の文化史をたどってきました。次の第VI部では、いよいよ、もっと根本的な問いに向き合います。そもそも、なぜ人は、これほどまでに、緑や自然に惹かれるのか。その理由を、哲学と、科学の両面から、探っていきます。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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