温室、植物が気候の壁を越える

前回、植物園が、世界じゅうから珍しい植物を集めた、という話をしました。けれど、ここで、一つの大きな問題があります。南国の、暖かい土地で育つ植物を、寒いヨーロッパで、どうやって生かしておくのか、という問題です。

その答えが、ガラスでした。ガラスでできた、温室です。光を取り込み、暖かさを閉じ込めるこの部屋は、遠い熱帯の植物を、寒い土地でも生かすことを可能にしました。今回は、この、植物に気候の壁を越えさせた、ガラスの技術の物語を見ていきます。

冬を越すための、ガラスの部屋

温室の早いかたちは、オランジュリーと呼ばれる建物にさかのぼります。

17世紀ごろ、ヨーロッパの裕福な人びとは、オレンジなどの、寒さに弱い果樹を育てたがりました。けれど、これらの木は、ヨーロッパの冬の寒さでは、枯れてしまいます。そこで、大きな窓のある建物をつくり、冬のあいだ、そこに木を入れて、寒さから守ったのです。これが、オランジュリーです。

ここにあるのは、人間が、植物のために、人工の気候をつくり出す、という発想です。外がどんなに寒くても、ガラスの部屋のなかだけは、暖かく保つ。自然の気候に逆らって、植物に都合のよい環境を、人の手でつくり出す。温室は、いわば、ガラスのなかに閉じ込めた、小さな別世界の気候だったのです。

ガラスの革命

この温室が、大きく発展するのが、19世紀です。そのきっかけは、ガラスをめぐる、技術の進歩でした。

それまで、ガラスは高価なもので、大きな建物を、ガラスで覆うことは、簡単ではありませんでした。ところが、19世紀の半ばに、ガラスが安く、大量につくれるようになります。さらに、鋳鉄(ちゅうてつ)という、丈夫な鉄の骨組みと組み合わせることで、巨大なガラスの建物を建てることが、できるようになったのです。

こうして、19世紀のヨーロッパには、壮大なガラスの温室が、次々と生まれました。キュー王立植物園の、ヤシの木のための大温室。そして、ロンドンの万国博覧会のためにつくられた、クリスタル・パレスと呼ばれる、巨大なガラスの宮殿。このクリスタル・パレスを設計したのは、もともと庭師だった人物で、巨大な水生植物を育てる温室づくりの経験が、この壮大な建物を生んだとも言われています。ガラスの技術が、庭の世界を大きく広げたのです。

植物が、気候の壁を越える

温室の登場は、植物と人間の関わりを、根本から変えました。

それまで、植物は、それぞれの気候の土地でしか、生きられませんでした。熱帯の植物は熱帯でしか、寒い土地の植物は寒い土地でしか、育ちません。気候の壁は、植物にとって、越えられない境界だったのです。ところが、温室があれば、その壁を越えられます。寒いヨーロッパのなかに、暖かい熱帯の気候を、人工的につくり出し、そこで南国の植物を育てる。

前回見た植物園と、この温室が組み合わさることで、世界じゅうの植物が、地球の上を、自由に動きまわるようになりました。ある大陸の植物を、まったく気候の違う別の大陸へ運び、そこで育てる。植物は、人間の技術によって、気候という、もっとも大きな境界を、越えられるようになったのです。これは、自然の秩序に対する、人間の、大きな働きかけでした。

ガラスが、緑を家のなかへ

温室の技術は、やがて、もっと身近なところにも広がっていきます。

19世紀のイギリスでは、中産階級の家庭が、自分の家に、小さなガラスの温室や、ガラス張りの部屋をもうけることが、ひとつのあこがれになりました。そこで、めずらしい植物を育てることは、その家の、教養や豊かさを示すものでもありました。

そして、このガラスの技術は、さらに小さなかたちで、思いがけない流行を生むことになります。小さなガラスの箱のなかで、遠い異国の植物を、家のなかで育てる。観葉植物の文化が、ここから大きく花ひらいていくのです。その物語は、次回、くわしく見ていきましょう。

温室が伝えるもの

温室の物語は、私たちに、人と植物の関わりの、新しい一面を見せてくれます。

それは、植物のために、人工の気候をつくり出す技術であり、植物に、気候という大きな壁を越えさせる仕組みであり、そして、遠い異国の緑を、寒い土地の暮らしのなかにまで連れてくる、夢の装置でした。人間は、ガラスという素材を手にして、自然の最も大きな境界の一つを、乗り越えてみせたのです。

ここにも、庭の根本にある「囲い込み」の発想が、見てとれます。ガラスで囲い込んだ内側に、外とはまったく違う、暖かい別世界をつくり出す。温室は、いわば、気候そのものを囲い込んだ、究極の囲いだったのかもしれません。

次回は、この温室の技術が生んだ、小さな箱の物語を訪ねます。遠い国の植物を、生きたまま運び、家のなかに持ち込むことを可能にした、観葉植物のはじまりです。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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