前回、西洋から伝わった「庭付きの家」という理想が、日本でも少しずつ広がりはじめた、という話をしました。けれど、それが、本当に多くの人びとの「夢」になるのは、戦争が終わった後のことでした。
そして、ここに、おどろくべき事実があります。私たちが、いかにも昔からの日本人の願いのように感じている「庭付き一戸建ての夢」。じつは、それは、戦後の、ある住宅政策によって、いわばつくり出されたものだったのです。今回は、その意外な成り立ちを見ていきます。
焼け跡から、持ち家へ
太平洋戦争が終わったとき、日本の都市は、焼け野原でした。住む家が、決定的に足りません。人びとは、まず、住む場所を確保することに、必死でした。
そんななか、国は、人びとが家を持てるように、いくつもの仕組みを整えていきます。1950年には、住宅金融公庫という仕組みがつくられました。これは、ふつうの人びとが、低い利子で、家を買うためのお金を借りられるようにするものでした。さらに1955年には、日本住宅公団がつくられ、郊外に、団地と呼ばれる集合住宅が、次々と建てられていきます。
こうして、国の後押しによって、ふつうの人びとが、自分の家を持つ道が、大きく開かれました。家を持つことが、一部の富裕層だけのものではなく、多くの人びとの、手の届く目標になっていったのです。
住宅双六と、「あがり」の庭
この時代に、人びとの暮らしの目標を、わかりやすく示す言葉が生まれました。「住宅双六(じゅうたくすごろく)」です。これは、建築家の上田篤が、1973年に新聞で示した図として知られています。
双六は、ふりだしから、いくつものマスを進んで、あがりをめざす、すごろくのことです。住宅双六とは、人の住まいの一生を、この双六になぞらえたものでした。まず、ふりだしは、借家やアパート。そこから、結婚し、子どもが生まれ、少しずつ広い住まいへと移っていく。そして、最後の「あがり」、つまりゴールに置かれたのが、郊外の「庭付き一戸建て」だったのです。
ここで、庭付きの一戸建ては、人生の成功の、最終的なかたちになりました。せまい借家から出発し、努力を重ねて、ついに、緑の庭のある、自分だけの家にたどり着く。庭は、その努力が実った証であり、家族の幸せの象徴でした。多くの人びとが、この「あがり」をめざして、働いたのです。
「庭付き一戸建ての夢」は、つくられた
ここで、立ち止まって考えたいことがあります。この「庭付き一戸建ての夢」は、いったい、どこから来たのでしょうか。
私たちは、つい、これを、昔から日本人が抱いてきた、自然な願いのように感じてしまいます。けれど、ここまで見てきたように、それは、そうではありませんでした。庭付き一戸建てを人生の目標とするこの夢は、戦後の、1950年代の住宅政策のなかで、いわば設計され、つくり出されたものだったのです。
考えてみてください。「家を持つことこそ、人生の目標だ」という、いわゆる持ち家への信仰。その歴史は、じつは、おどろくほど浅いのです。戦後の住宅政策が広く根づかせてから、長く見ても、まだ七十年あまりしかたっていません。私たちが、何百年も続く伝統のように感じているこの夢は、ほんの数世代前に、特定の政策と、戦後の経済成長のなかで生まれた、とても新しいものだったのです。
第IV部のはじめに置いた問い、「庭を持つのが当たり前という感覚は、新しく特殊なものだ」という話を、思い出してみてください。日本の「庭付き一戸建ての夢」は、まさに、その典型でした。
ゆらぐ、土台
そして、ここには、もう一つ、考えておくべきことがあります。
この「庭付き一戸建ての夢」は、ある特定の条件のうえに成り立っていました。人口が増えつづけ、土地の値段が上がりつづけ、都市が郊外へと広がりつづけ、そして、低い利子でお金を借りられる。こうした条件がそろっていたからこそ、多くの人が、郊外に庭付きの家を持つことができたのです。
ところが、いま、日本では、これらの条件が、大きく変わってきています。人口は減りはじめ、空き家が増え、郊外は縮みはじめています。つまり、あの夢を支えていた土台そのものが、足もとから、ゆらぎはじめているのです。私たちが当たり前だと思ってきた「庭付き一戸建て」という夢は、その前提が、いま、静かに崩れつつあるのかもしれません。
戦後日本の庭が伝えるもの
戦後日本の庭の物語は、私たちに、大切な気づきをもたらします。
それは、私たちが昔からの願いだと思っていた「庭付き一戸建ての夢」が、じつは、戦後の住宅政策がつくり出した、ほんの七十年あまりの歴史しかない、新しいものだった、という気づきです。当たり前だと思っていたものが、当たり前ではなかった。そして、その夢を支えていた土台は、いま、変わりつつある。
このことを知ると、「庭が欲しい」という自分の気持ちを、少し立ち止まって見つめ直せるかもしれません。その気持ちは、本当に自分の奥底から来たものなのか。それとも、ある時代がつくり出した夢を、知らず知らず受け取っているだけなのか。これは、最後の第VII部で、もう一度、深く考えてみたい問いです。
次回は、第IV部の最後として、もっと最近の動きを見ます。庭付きの家への夢が変わっていくなかで生まれた、新しい緑との関わり方。ガーデニングのブームと、その先にあるものです。
参考にした資料
- Wikipedia「住宅双六(上田篤・1973年朝日新聞)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%AE%85%E5%8F%8C%E5%85%AD
- Wikipedia「住宅金融公庫(1950年設立)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%AE%85%E9%87%91%E8%9E%8D%E5%85%AC%E5%BA%AB
- Wikipedia「日本住宅公団(1955年設立)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BD%8F%E5%AE%85%E5%85%AC%E5%9B%A3
── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。
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