近代日本の庭、鉢植えの緑と、洋風のあこがれ

前回まで、西洋で庭が、王侯貴族のものから、ふつうの人びとのものへと変わっていく道のりを見てきました。今回からは、視点を日本に移します。日本でも、庭はどのように、限られた人びとのものから、みんなのものへと変わっていったのでしょうか。

その道のりは、西洋とよく似たところもあれば、日本ならではの、独特なところもありました。とくに、庭を持てない庶民が、それでも緑を愛した、その愛し方に、日本らしい特徴があらわれています。

江戸の庭は、誰のものだったか

江戸時代の日本でも、立派な庭を持てたのは、ごく限られた人びとでした。

第III部で見た、大名たちの広大な回遊式庭園。そして、武家屋敷の庭や、豊かな商人の庭。こうした観賞のための庭は、権力や富を持った人びとのものでした。一方、町に暮らす多くの庶民は、長屋と呼ばれる、せまい棟割りの住まいで暮らしていました。そこには、もちろん、観賞のための庭などありません。

ここまでは、西洋とよく似ています。庭は、長いあいだ、日本でも「持てる者」のものだったのです。けれど、ここからが、日本らしいところです。庭を持てない庶民が、緑をあきらめてしまったかというと、けっしてそうではありませんでした。

鉢植えと盆栽、庶民の小さな緑

庭を持てない江戸の庶民は、別のかたちで、緑を暮らしのなかに取り入れていました。鉢植えです。

せまい長屋でも、軒先や、窓辺に、鉢を並べることはできます。江戸の人びとは、この小さな鉢のなかに、草花を育て、季節を楽しみました。朝顔を、さまざまな色や形に咲き分けることに熱中したり、鉢のなかに、小さな木で雄大な自然の風景をつくり出す盆栽を愛でたり。植木を売り買いする市も、にぎわいました。

ここに、日本ならではの、緑の楽しみ方があらわれています。広い土地がなくても、鉢ひとつあれば、緑は暮らしのそばに置ける。手のひらにのるほどの小さな器のなかに、自然のすべてをこめる。これは、土地としての庭を持てない人びとが見つけた、もう一つの「みんなの庭」だったとも言えます。この、小さな器のなかの庭については、第V部で、あらためてくわしく見ていきたいと思います。

明治の開国と、洋風の庭・公園

時代が明治に移り、日本が西洋に向けて国を開くと、庭の世界にも、新しい風が吹き込みます。

西洋風の庭が、日本に紹介されました。なめらかな芝生や、花壇を配した洋風の庭が、和風の庭と組み合わされて、つくられるようになります。また、それまでの日本にはなかった、新しいものも生まれました。誰もが入って楽しめる、西洋風の公園です。都市のなかに、人びとが憩うための緑の空間が、公けのものとして整えられていきました。

ここで、庭は、個人が所有するものであるだけでなく、みんなで分かち合う、公共のものという、新しい性格を帯びはじめます。緑を楽しむ場所が、私的な庭の外にも、広がっていったのです。

庭付きの家、日本へ

そして、西洋で生まれた「庭付きの家」という理想も、日本に伝わってきます。

前回見た、ハワードの田園都市の構想は、日本の街づくりにも影響を与えました。緑ゆたかな住宅地をめざして、計画的につくられた郊外の街が、東京の近くにも生まれていきます。都市で働き、緑のある郊外の、庭付きの家に住む。そんな、西洋から伝わった新しい暮らしの理想が、日本でも、少しずつ広がりはじめたのです。

こうして、近代の日本の庭は、いくつかの流れが混ざり合うなかで、かたちづくられていきました。鉢植えや盆栽という、庶民が育ててきた小さな緑の文化。西洋から伝わった、洋風の庭や公園。そして、庭付きの家という、新しいあこがれ。これらが重なって、日本の庭の近代がつくられていったのです。

近代日本の庭が伝えるもの

近代日本の庭の物語は、私たちに、日本ならではの、緑との関わり方を見せてくれます。

それは、庭を持てなくても、鉢ひとつに緑をこめて楽しんだ、庶民の知恵であり、西洋から新しく取り入れた、洋風の庭と公園であり、そして、庭付きの家という、海をこえて伝わったあこがれでした。日本の庭の民主化は、こうした、古くからの文化と、外から来た理想とが、出会い、混ざり合うなかで、進んでいったのです。

けれど、日本で、庭付きの家が、本当に多くの人びとの手に届く「夢」になるのは、もう少し後のことでした。それは、戦争が終わった後の、大きな社会の変化のなかで、はっきりとかたちをとります。次回は、その、戦後日本の持ち家と庭の物語を見ていきます。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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