田園都市、都市そのものを庭にする夢

前回は、庭の民主化に、二つの流れがあることを見ました。中産階級の私的なあこがれと、労働者に土と緑を、という社会改革。この二つを、一つの壮大な構想のなかで束ねようとした人物がいました。イギリスのエベネザー・ハワードです。

彼が思い描いたのは、個人が小さな庭を持つ、という話にとどまりませんでした。都市そのものを、まるごと庭と一体につくり変えてしまおう、という、大きな夢でした。田園都市と呼ばれる、その構想を、今回は訪ねます。

都市と田園の、いいとこ取り

ハワードは、当時の社会を、こう見ていました。

人びとが集まる都市には、仕事があり、にぎわいがあります。けれど、空気は汚れ、人はひしめき合い、自然はありません。一方、田園には、きれいな空気と緑があります。けれど、仕事は少なく、社会から取り残されがちです。都市にも、田園にも、それぞれ良さと、欠点があったのです。

そこでハワードは、こう考えました。都市の良さと、田園の良さを、両方あわせ持った、まったく新しい街をつくれないか。仕事もあり、にぎわいもあり、それでいて、緑ゆたかで、健康的な街。都市と田園の、いいとこ取りをした、第三の暮らしの場。それが、彼のめざした「田園都市」でした。

田園都市という、構想

ハワードの構想は、たいへん具体的なものでした。

田園都市は、むやみに大きくならない、ほどよい大きさの計画都市です。街のまわりは、ぐるりと農地や緑地の帯で囲まれ、それ以上、街が無秩序に広がらないようにされます。街のなかには、家々が、それぞれ庭を持って建ち並び、公園が配され、人びとが働く産業もそろっています。仕事と、住まいと、自然とが、一つの街のなかで、バランスよく成り立つ。そして、土地は、構想のうえでは、特定の地主のものではなく、街の人びと全体のために、共同で持たれることになっていました。そんな、理想の街でした。

ハワードは、1898年に、この構想を一冊の本にまとめ、世に問いました。そして、1903年には、その理想を実際にかたちにすべく、ロンドンの北に、世界で最初の田園都市、レッチワースの建設が始まります。夢は、紙の上の構想から、現実の街へと、一歩を踏み出したのです。

庭が、都市の原理になる

ここに、庭の歴史の、大きな飛躍があります。

これまで見てきた庭の民主化は、一軒の家が、自分の庭を持つ、という話でした。けれど、ハワードの田園都市では、庭や緑が、もはや一軒一軒のものにとどまりません。緑と庭が、街全体をつくる、根本の原理になっているのです。どの家にも庭があり、街は緑地に囲まれ、公園が街を彩る。都市そのものが、一つの大きな庭として構想されている。

ここで、前回見た二つの流れが、一つに合流します。個人が庭を持ちたいという、中産階級のあこがれ。そして、すべての人に土と緑を、という社会改革の願い。この二つが、「みんなが緑のなかで暮らせる街をつくる」という、一つの大きな構想のなかで、結ばれたのです。庭は、私的な持ち物であることを超えて、人びとがどう一緒に暮らすべきか、という問いの答えにもなりました。

世界へ、そして日本へ

ハワードの田園都市の構想は、イギリスだけにとどまりませんでした。それは、世界じゅうの街づくりに、大きな影響を与えていきます。

緑地帯で都市の広がりを抑える考え方、庭付きの家が並ぶ計画的な郊外、緑ゆたかな新しい街。こうした発想は、20世紀の都市計画の、大切な土台になりました。そして、その影響は、海をこえて日本にも届きます。緑ゆたかな住宅地をめざした、計画的な街づくりが、日本でも試みられていくことになるのです。

「住むなら、緑のある場所がいい」。私たちが、いまほとんど当たり前のように抱いている、この感覚。じつは、その一部は、ハワードたちが描いた、田園都市の夢に、その源をたどることができるのかもしれません。

田園都市が伝えるもの

田園都市の物語は、私たちに、庭の民主化が行き着いた、一つの大きな地点を見せてくれます。

それは、都市と田園の良さをあわせ持つ街をめざし、緑と庭を、街づくりの根本の原理にすえた、壮大な構想でした。個人のあこがれと、社会の願いとを、一つに束ねた夢でもありました。庭は、ここで、私的な持ち物を超えて、人びとがともに健康に暮らすための、社会の理想そのものになったのです。

次回からは、視点を日本に移します。ここまで見てきた西洋の庭の民主化と並行して、日本では、どのように庭が、武家や豪商のものから、ふつうの人びとのものへと変わっていったのか。その道のりを、たどっていきます。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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