市民農園、「労働者にも、土と緑を」

前回は、中産階級が、郊外に「庭付きの家」を持つようになった話をしました。これは、庭の民主化の、一つの大きな流れです。けれど、じつは、まったく別の動機から生まれた、もう一つの流れがありました。

それは、ゆとりのある人びとの、私的なあこがれから生まれたものではありません。「都市で苦しく働く労働者にも、土と緑を分けあたえよう」という、社会を良くしたいという思いから生まれた庭です。市民農園と呼ばれる、この庭の物語を、今回は見ていきます。

もう一つの流れ、社会改革としての緑

19世紀の産業都市では、工場で働く労働者たちが、ひどい環境で暮らしていました。日の差さない、ぎゅうぎゅう詰めの住まい。新鮮な空気も、緑も、自分で育てた食べ物も、手の届かない暮らし。とくに、子どもたちが、遊ぶ場所もなく、不健康に育っていくことが、心ある人びとを心配させました。

そこで、社会を良くしたいと願う人びとが、こう考えはじめます。労働者の家族に、小さくてもいいから、土をいじり、緑を育て、新鮮な野菜を収穫できる場所を、分けあたえられないか、と。

ここにあるのは、富や地位を示すための庭でも、私的なくつろぎのための庭でもありません。働く人びとの健康と、暮らしの尊厳のための庭です。庭を、社会の課題を解決する手立てとして使おうとする、まったく新しい発想でした。

ドイツのクラインガルテン

この社会改革としての庭が、はっきりとしたかたちをとった一つの例が、ドイツのクラインガルテンです。クラインガルテンとは、「小さな庭」という意味の言葉です。

そのはじまりは、1864年、ドイツのライプツィヒにさかのぼると言われています。子どもの健康を心配する人びとが集まり、まず、子どもたちが遊べる場所をつくりました。そして、やがて、その一画に、家族が野菜を育てるための、小さな区画が設けられていったのです。これが、クラインガルテン運動の源流とされます。

面白いことに、この運動には、シュレーバーという医師の名前が冠されています。子どもの健康を重んじたこの医師にちなんで、後に名づけられたものです。ただし、医師その人が、この運動を始めたわけではありません。創始者は地元の校長でした。医師の死後に、関係者が、彼の唱えた子どもの健康と戸外の運動という理念にちなんで、運動にその名を冠した、という小さな経緯があります。いずれにせよ、ここで生まれた小さな庭は、都市で働く家族に、土と緑を取り戻す場所として、ドイツじゅうに広がっていきました。

イギリスのアロットメント

同じころ、イギリスでも、よく似た仕組みが育っていました。アロットメントと呼ばれる、割り当て菜園です。

これは、都市の労働者や、貧しい人びとに、小さな耕地を割り当て、そこで自分の食べる野菜を育てられるようにする仕組みでした。19世紀を通じて、こうした菜園を確保するための法律も整えられていきます。土地を持たない人びとが、わずかでも自分の手で土を耕し、食べ物を得られるようにする。これも、社会全体で、働く人びとの暮らしを支えようとする、大切な試みでした。

クラインガルテンも、アロットメントも、観賞のための庭ではありません。それは、土に触れ、緑を育て、食べ物を収穫するという、もっとも素朴な、人と土との関わりを、すべての人に開こうとする庭だったのです。

二つの水脈

ここまで来て、庭の民主化には、大きく二つの異なる流れがあったことが見えてきます。

一つは、前回見た、中産階級の、私的なあこがれの流れです。郊外に庭付きの家を持ち、豊かさと、家族のくつろぎと、自分だけの場所を求める。いわば、「上から」降りてくる欲望の流れです。もう一つが、今回見た、社会改革の流れです。働く人びとに、健康と尊厳のために、土と緑を分けあたえる。いわば、「下から」支えようとする、運動の流れです。

私たちが、いま「庭が欲しい」と思うとき、その気持ちのなかには、じつは、この二つの異なる水脈が、混ざり合って流れています。豊かさの象徴としての庭への憧れと、土に触れて生きたいという、もっと素朴な願い。自分の「庭が欲しい」という思いが、どちらの水脈をより強く汲んでいるのか。それを考えてみるのも、面白いかもしれません。

市民農園が伝えるもの

市民農園の物語は、私たちに、庭の民主化の、もう一つの顔を見せてくれます。

それは、富や地位のためではなく、働く人びとの健康と尊厳のために、土と緑を分けあたえようとした庭でした。観賞ではなく、土に触れ、食べ物を育てるという、人と土とのもっとも根源的な関わりを、すべての人に開こうとした試みでした。庭が、社会を良くするための手立てになりうる。市民農園は、そのことを、静かに教えてくれます。

そして、この「土と緑をみんなに」という思いは、いまも、各地の市民農園や、貸し農園、コミュニティガーデンといったかたちで、生きつづけています。

次回は、この二つの流れを、もっと大きな構想のなかで一つにしようとした、ある壮大な夢を訪ねます。都市そのものを、庭と一体につくり変えようとした、田園都市の運動です。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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