前回、芝刈り機が、中産階級の庭を可能にした、という話をしました。では、その庭は、どこに根を下ろしたのでしょうか。答えは、都市の外に新しく生まれた住まいのかたち、郊外の住宅です。そして、まさにこの場所で、私たちがいま当たり前だと思っている、ある理想が生まれました。「庭付きの家」という理想です。
今回は、この「庭付き一戸建て」という夢が、じつは、それほど古いものではなく、19世紀に、いわば設計されたものだった、という話をします。
都市から、逃げ出す
19世紀のヨーロッパやアメリカは、産業革命のまっただなかにありました。工場が立ち並び、都市には人があふれ、煙と煤(すす)で空気は汚れ、人びとはひしめき合って暮らしていました。都市は、富を生み出す場所であると同時に、不健康で、息のつまる場所でもあったのです。
そこで、ある程度の余裕のある中産階級の人びとは、こう考えはじめます。働く場所は都市でいい。けれど、住む場所は、もっと緑のある、健康的な郊外がいい、と。
これを可能にしたのが、鉄道などの交通機関でした。郊外に家を持ち、毎朝、汽車に乗って都市の職場へ通う。そんな暮らし方が、はじめてできるようになったのです。こうして、都市の外側に、住むための新しい街、郊外住宅地が広がっていきました。
庭のある、一戸建て
この郊外に建てられた家は、それまでの都市の住まいとは、まったく違うかたちをしていました。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた都市の集合住宅ではなく、一軒ずつ独立した家です。そして、その家には、自分だけの庭がありました。道に面した前庭には芝生があり、家の裏手には、くつろいだり、野菜を育てたりするための裏庭がありました。煙にまみれた都市を離れ、緑に囲まれた、清潔で、健康的な、家族のための住まい。それが、郊外の一戸建てでした。
ここには、人びとが住まいに求めた、いくつもの願いがこめられていました。健康であること。家族でくつろげること。自然のそばにあること。そして、他人にじゃまされない、自分だけの場所を持つこと。庭は、こうした願いを、まとめて受けとめる、大切な要素だったのです。
「庭付きの家」が、設計された
ここで、たいへん興味深い事実があります。この「庭付きの家」という理想が、ある時期に、はっきりと言葉にされ、いわば設計された、という事実です。
19世紀の半ば、郊外の住宅のつくり方を説いた、ある本が出版されました。そのなかで、住まいには、こうした庭があるべきだ、と推奨されています。子どもが遊べる芝生のスペースや、果物や野菜を育てるための場所です。つまり、「子どもが遊び、家族が緑を育てられる庭のある家」が、これからの理想の住まいのかたちとして、提案されたのです。
これは、見すごせないことです。「庭のある家」というかたちは、大昔から自然にあったものではありません。それは、19世紀の郊外という新しい暮らしのなかで、こうあるべきだと考えられ、言葉にされ、設計された理想だったのです。私たちが思い描く「庭付き一戸建て」の原型は、ここで生まれたと言ってもよいでしょう。
当たり前ではなかった「当たり前」
ここで、第IV部のはじめに置いた問いを、もう一度思い出してみてください。「庭を持つことは豊かさの証だ」という感覚は、じつは新しく、特殊なものだ、という話です。
「庭付きの家に住みたい」という夢を、私たちは、人間なら誰もが昔から抱いてきた、自然な願いのように感じています。けれど、ここまで見てきたように、その夢は、産業革命と、鉄道と、中産階級の登場という、ごく特定の条件が重なったところで、19世紀に生まれたものでした。長く見ても、まだ百数十年ほどの歴史しかない、新しい理想なのです。
このことを知ると、「庭付き一戸建て」という夢を、少し違った目で見られるようになります。それは、人類が普遍的に抱いてきた本能ではなく、ある時代が、ある条件のもとで生み出した、歴史的なかたちなのです。当たり前だと思っていたものが、じつは当たり前ではなかった。この視点は、これからの庭を考えるうえでも、大切なものになります。
郊外の庭が伝えるもの
郊外住宅の物語は、私たちに、「庭付きの家」という理想の、本当の生まれを教えてくれます。
それは、汚れた都市から逃れたいという願いと、鉄道という技術と、中産階級の暮らしのなかで生まれた、新しい住まいのかたちでした。そして、その理想は、自然にあったものではなく、こうあるべきだと設計され、言葉にされて、広がっていったものでした。私たちの「庭への憧れ」の、すぐ手前の源流が、ここにあります。
次回は、この民主化の、もう一つの流れを見ます。中産階級の私的な庭とは別に、「都市で働く労働者にも、土と緑を」という、社会改革の思いから生まれた庭です。市民農園の物語です。
参考にした資料
- Encyclopaedia Britannica「Suburb」 https://www.britannica.com/topic/suburb
- Wikipedia「Andrew Jackson Downing(郊外住宅理想の系譜)」 https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Jackson_Downing
- Kenneth T. Jackson『Crabgrass Frontier』(Oxford University Press, 1985)
── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。
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