前回、庭が長いあいだ「持てる者」だけのものだった、という話をしました。では、その庭が、どのようにして、ふつうの人びとのものになっていったのか。その物語を、まず一つの植物からはじめたいと思います。芝生です。
刈り込まれた、なめらかな緑の芝生。いまでは、ごくありふれた、住宅の庭の風景です。けれど、この芝生は、もともと、たいへんな富の象徴でした。何も生み出さない、ただ緑なだけのこの草地が、なぜ、豊かさの証だったのか。そこには、庭の民主化を読み解く、大切な手がかりが隠れています。
何も生まない、緑
まず、芝生という存在の、ふしぎさに目を向けてみましょう。
畑なら、野菜や穀物という、食べ物を生み出します。果樹園なら、果実が実ります。牧草地なら、家畜を養います。ところが、刈り込まれた観賞用の芝生は、何も生み出しません。食べられもしない、売れもしない。ただ、青々と、平らに広がっているだけです。
ここに、芝生のぜいたくさの、第一の理由があります。よく肥えた土地を、食べ物を生むためではなく、ただ美しく緑であるためだけに使う。これは、暮らしに余裕のない人びとには、とてもできないことでした。土地を「役に立たないこと」のために使えること。それ自体が、豊かさのしるしだったのです。
なぜ、芝生は富の象徴だったのか
芝生がぜいたくだった理由は、もう一つあります。それを美しく保つことが、たいへんな手間だった、という点です。
いまでこそ、芝生は機械で簡単に刈れます。けれど、芝刈り機が発明されるまで、芝を短く、なめらかに保つのは、容易なことではありませんでした。方法は、おもに二つです。一つは、羊などの家畜に草を食べさせること。もう一つは、大鎌(おおがま)を持った人びとが、手作業で刈っていくことです。
広い芝生を、いつも美しく刈りそろえておくには、たくさんの羊か、あるいは、おおぜいの働き手が必要でした。つまり、立派な芝生を保つには、それだけの土地と、家畜と、人手を雇うだけの、富がいったのです。きちんと刈り込まれた芝生は、見る人に、こう語りかけていました。「私には、これだけの緑を、ただ美しく保つだけの余裕がある」と。
貴族の、なめらかな芝生
この、富の象徴としての芝生が、もっとも壮大に広がったのが、第III部で見た、イギリスの風景式庭園でした。
ケイパビリティ・ブラウンがつくり上げた、どこまでも続くなだらかな芝生を、思い出してみてください。あの緑の絨毯は、おおぜいの大鎌の使い手と、草を食む羊の群れによって、ようやく保たれていました。貴族たちは、その広大な芝生を、自らの富と地位の象徴として誇りました。
ここでも、芝生は、ただ美しいだけのものではありませんでした。それは、「これだけの土地を、何も生まない緑のために使い、これだけの手間をかけて保つことができる」という、富の宣言だったのです。なめらかな芝生は、貴族の館にこそふさわしい、ぜいたくの極みでした。ふつうの人びとの暮らしには、とても手の届かない風景だったのです。
やがて、みんなの標準になる芝生
ところが、この貴族だけのぜいたくだった芝生は、やがて、おどろくほど多くの家庭の、ごく当たり前の風景へと変わっていきます。
今日では、郊外の住宅地を歩けば、どの家の前にも、小さな芝生が広がっています。とくにアメリカの郊外では、手入れの行き届いた芝生は、よき家庭の象徴のようにさえなりました。かつて、王侯貴族だけのものだった、なめらかな緑の絨毯が、ごくふつうの家庭の標準になったのです。
いったい、何が、この大きな変化を引き起こしたのでしょうか。羊の群れも、おおぜいの大鎌の使い手も雇えない、ふつうの人びとが、自分の手で芝生を保てるようになる。そのためには、一つの、決定的な発明が必要でした。芝生を、貴族の手から解き放った、その小さな機械の物語を、次回、見ていきたいと思います。
芝生が伝えるもの
芝生の歴史は、私たちに、庭の民主化の本質を、よく見せてくれます。
それは、何も生まない緑を保つだけの土地と手間を持てるという、富の象徴でした。だからこそ、芝生がみんなのものになるということは、そのぜいたくが、ふつうの人びとの手の届くものに変わる、ということを意味しました。庭の民主化とは、つまり、かつて特権だったものが、すこしずつ、誰もが手にできるものへと、降りてくる過程だったのです。
私たちが、何気なく「庭に芝生があるといいな」と思うとき、その思いの奥には、じつは、かつての貴族のぜいたくへの、遠いあこがれが、かすかに流れているのかもしれません。
次回は、その芝生を、ふつうの人びとの手に渡した、一台の機械を訪ねます。1830年に生まれた、芝刈り機です。
参考にした資料
- Encyclopaedia Britannica「Lawn」 https://www.britannica.com/topic/lawn
- Virginia Scott Jenkins『The Lawn: A History of an American Obsession』(Smithsonian, 1994)
- Gardens Illustrated「The history of lawns」 https://www.gardensillustrated.com/features/the-history-of-lawns
── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。
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