ピクチャレスクとロマン主義、感じるための庭

前回のイギリス風景式庭園は、なだらかで理想的な、絵のような自然をつくり出しました。今回は、その「ととのった美しさ」にさえ、人びとが飽き足らなくなっていく話です。

18世紀の終わりから19世紀にかけて、人びとは、おだやかな風景よりも、もっと荒々しく、もっと心を揺さぶる自然を求めるようになります。ごつごつした岩、ねじれた古木、こわいほど雄大な山々。庭は、ここで、見て美しいだけのものから、深く「感じる」ための場所へと変わっていきました。そして、庭をめぐって、さまざまな思想が、激しくぶつかり合うことになります。

なめらかさへの、飽き

ケイパビリティ・ブラウンがつくった、なめらかな芝生の風景は、たしかに美しいものでした。けれど、しばらくすると、人びとは、それを物足りなく感じはじめます。きれいに整いすぎていて、退屈だ、というのです。

そこで生まれたのが、ピクチャレスクという美意識です。これは「絵のように美しい」という意味の言葉ですが、ここで求められたのは、おだやかな絵ではありません。むしろ、荒々しく、変化に富み、ごつごつした風景でした。ねじれた老木、苔むした岩、つたのからまる廃墟、勢いよく流れ落ちる滝。なめらかに整えられたものよりも、不規則で、野性的で、手つかずに見えるものにこそ、深い味わいがある、という考え方です。

人びとの好みは、整いすぎた美しさから、ざらりとした、荒々しい美しさへと、移っていきました。完璧な秩序よりも、思いがけない変化と、野生のおもむきが、求められるようになったのです。この美意識は、まず紀行作家のギルピンが広め、1794年には、プライスとナイトという二人が、ブラウン流のなめらかな庭を公然と批判する書を、同じ年に、世に問いました。

ロマン主義と、こわいほどの自然

この流れは、ロマン主義と呼ばれる、大きな精神の運動とつながっていました。

ロマン主義の人びとは、理性よりも、感情を大切にしました。そして、自然のなかに、心を激しく揺さぶる力を見いだしました。とくに、人間の力をはるかに超えた、雄大で、ときに恐ろしくさえある自然に、強く惹かれたのです。そびえ立つ高い山、荒れ狂う嵐、暗い森、果てしない海。こうした、おそれと感動が入りまじった気高い感覚は、崇高(すうこう)と呼ばれました。この崇高を、美とは別の原理として論じたのが、18世紀の思想家バークです。彼は『崇高と美の起源』という本で、崇高には、心地よさと、おそろしさとが、同時にふくまれている、と説きました。

ここに、自然との関わり方の、大きな転換があります。フランスのように自然を支配するのでも、ブラウンのように自然をなめらかに理想化するのでもありません。人間の手に負えない、ありのままの荒々しい自然の前で、ただ畏れ、感動し、心を震わせる。自然は、整える相手から、感じ、ひれ伏す相手へと変わったのです。

感情を呼び起こす、庭

こうした美意識は、庭づくりにも反映されました。庭は、感情を呼び起こすための、しかけになっていきます。

庭には、わざと荒々しい風景がつくられました。ごつごつした岩を組んだ滝、薄暗い洞窟、つたのからまる廃墟。なかには、最初から「廃墟」として建てられた、ニセの遺跡(フォリー、あるいはシャム・ルインと呼ばれます)まで、ありました。なぜ、廃墟だったのでしょうか。崩れかけた建物は、過ぎ去った時間や、栄えたものの滅び、人の世のはかなさを思わせ、見る人の心に、もの悲しい感慨を呼び起こすからです。

人は、こうした庭を歩きながら、さまざまな感情を味わいました。荒々しい滝の前での高ぶり、暗い森のなかでの不安、廃墟を前にしたもの悲しさ、静かな池のほとりでの物思い。庭は、美しい眺めを楽しむ場所であるだけでなく、心をさまざまに揺り動かし、深い感情を体験するための、いわば「感じるための装置」になったのです。

庭が、思想の闘技場になる

この時代、庭は、たんなる趣味の対象を超えて、思想がぶつかり合う舞台になりました。

なめらかな美しさがよいのか、それとも荒々しさこそ美しいのか。庭は、理性で整えるべきか、それとも感情を呼び起こすべきか。自然は、人間が支配するものか、それとも人間がひれ伏すものか。こうした問いをめぐって、当時の思想家たちは、激しく議論をたたかわせました。一見、ただの庭づくりの趣味の話に見えて、その奥では、人間とは何か、自然とは何か、美とは何かという、深い問いが争われていたのです。

庭は、その時代の人びとが、世界をどう見て、何を美しいと感じ、自然とどう向き合おうとしたか、その根本の考え方を映す鏡でした。第II部で見た宗教の庭が「信仰」を映したように、この時代の庭は、人びとの「思想」と「感情」を映していたのです。

ピクチャレスクとロマン主義が伝えるもの

ピクチャレスクとロマン主義の庭は、私たちに、庭の新しい意味を見せてくれます。

それは、整いすぎた美しさへの飽きから生まれた、荒々しい庭であり、人間を超えた自然の前で、畏れと感動を味わうための庭であり、そして、もの悲しさや高ぶりといった、深い感情を呼び起こすための庭でした。人が庭に求めるものに、ここではっきりと「心を動かされたい」「何かを感じたい」という願いが加わったのです。

そして、この時代に芽生えた「ありのままの荒々しい自然にこそ価値がある」という感覚は、のちに、手つかずの自然を守ろうとする思想へとつながっていきます。それは、現代の私たちが、自然のなかに癒やしや感動を求める気持ちの、遠い源流でもあるのです。

さて、ここまでの第III部では、世界じゅうの庭の歴史をたどってきました。けれど、お気づきかもしれません。ここに登場した庭は、そのほとんどが、王や貴族、僧侶や教養人といった、ごく限られた人びとのものでした。では、ふつうの人びとが、自分の庭を持つようになるのは、いつ、どのようにしてだったのでしょうか。次の第IV部では、いよいよ「庭の民主化」、庭がみんなのものになっていく道のりを、たどっていきます。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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