中世ヨーロッパの庭、城壁のなかの小さな楽しみ

前回まで、東アジアの庭をめぐる長い旅をしてきました。ここでふたたび、西のヨーロッパへ戻ります。

第II部で、中世の修道院の庭、閉ざされた園(ホルトゥス・コンクルスス)を訪ねました。今回見るのは、それとは別の、もっと世俗的な中世の庭です。城に付属した小さな庭、暮らしを支える実用の庭、そして、愛をはぐくむための庭。戦乱と不安の多かった時代に、人びとは城壁の内側に、ささやかな緑の楽しみを育てていました。

まずは、暮らしを支える庭

中世のヨーロッパは、けっして豊かで平和な時代ばかりではありませんでした。だから庭も、まず何より、暮らしの役に立つことが求められました。

人びとは、台所のための菜園で、野菜や豆を育てました。薬草園では、痛みをやわらげる草や、傷を治す草を育てました。果樹園では、リンゴや梨を実らせました。中世の庭の多くは、まずこうした「食べるため、治すための庭」だったのです。観賞のための庭は、まだぜいたくなものでした。

ここには、庭のいちばん素朴な姿があらわれています。美しさよりも前に、生きるために緑を育てる。土から食べ物と薬を得るという、人と植物のもっとも古い関係が、中世の暮らしの庭には、しっかりと息づいていました。

城の片すみの、小さな庭

実用の庭とならんで、中世には、もう少し心を楽しませるための庭も生まれていました。城や館の片すみにつくられた、小さな囲いの庭です。

これは、ハーバーなどと呼ばれました。高い塀や、編んだ垣根、あるいは格子のついた柵で囲まれた、こぢんまりとした空間です。なかには、芝を盛り上げてつくった腰掛けがあり、人はそこに座って、花や緑をながめることができました。つる植物をはわせた格子の小道や、ささやかな噴水が置かれることもありました。

なぜ、これほど小さく、囲われていたのでしょうか。一つには、まだ世の中が不安な時代だったからです。庭は、城壁という大きな守りの内側に、さらに小さな囲いをつくって、ようやく安心して楽しめる場所でした。広々と外へ開いた庭ではなく、壁に守られた、内向きの、親密な庭。それが、中世という時代の庭のかたちでした。

愛をはぐくむ、囲いの庭

中世の庭には、もう一つ、印象的な役割がありました。愛の舞台になる、ということです。

中世のヨーロッパには、騎士が高貴な女性に、礼をつくして愛をささげるという、宮廷風の恋の文化がありました。そして、その恋の物語は、しばしば庭を舞台に語られました。なかでも有名なのが、13世紀の『薔薇物語(ばらものがたり)』という長い詩です。これは、13世紀前半にギヨーム・ド・ロリスが書きはじめ、のちにジャン・ド・マンが書き継いだ作品で、壁に囲まれた美しい庭が、愛そのものをあらわす場所として描かれます。

そうした庭は、色とりどりの花が咲きみだれる芝生、いわば「花の野」として思い描かれました。人びとは、その囲われた庭で、音楽を奏で、語らい、恋を語りました。庭は、日々の労働や戦いから切り離された、洗練された楽しみと、恋のための、特別な小世界だったのです。

ここでも、庭の本質は「囲い」にありました。けれど、その囲いが守っていたのは、もはや食べ物や薬だけではありません。喜びや、美や、恋といった、心のための豊かさでした。庭が囲い込むものが、暮らしの必要から、心の楽しみへと、少しずつ広がっていったのです。

守りと囲いの時代の庭

中世ヨーロッパの庭をふり返ると、それは、時代のありようを、よく映していたことに気づきます。

戦乱と不安の多かったこの時代、庭は、大きく外へ開くことはありませんでした。城壁の内側に、さらに垣根で囲った、小さく守られた空間。そのなかで、人びとは食べ物を育て、薬草を摘み、芝の腰掛けに座って花をながめ、ときに恋を語りました。庭は、きびしい外の世界から切り離された、ささやかな避難所であり、楽しみの場でした。

第I部で見た「囲い込み」が、ここでは、いっそう切実な意味を帯びています。囲うことは、守ることでした。そして、その守られた内側にこそ、人は緑と、美と、心の安らぎを大切に育てたのです。小さくとも、壁の内に確かな喜びがある。中世の庭は、そういう庭でした。

次回は、この中世の小さな庭が、大きく姿を変える瞬間を見ます。壁は低くなり、庭は外の風景へと開かれ、彫刻と噴水で飾られた、堂々たる芸術作品になっていきます。イタリアに花ひらいた、ルネサンスの庭です。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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