日本庭園史(1)、神々の庭と、この世の浄土

前回までに、中国の庭が、山水を小さく写しとる、自然らしさの庭であることを見てきました。この中国の庭は、海をわたって日本に伝わり、独自の深まりを見せていきます。ここから数回にわたって、日本の庭の歴史をたどっていきましょう。

最初に見るのは、もっとも古い時代の庭です。日本の庭には、二つの源がありました。一つは、神々をまつる、古来の聖なる場。もう一つは、海をこえて伝わった、仏教の浄土の思想です。この二つが出会うところに、日本の庭は生まれました。

神々が降りてくる、聖なる場

第I部で、日本語の「にわ」が、もともと「何かを行うための、平らな場所」を意味していたことを見ました。なかでも大切だったのが、神をまつるための場でした。

古代の日本の人びとは、大きな岩や、こんもりした木立に、神が降りてくると考えていました。神が宿る、あるいは神が降り立つとされた岩は、磐座(いわくら)と呼ばれ、まわりを清めて、大切にまつられました。神をお迎えする場所には、白い小石や砂が敷かれ、清らかに保たれました。

ここには、まだ「庭」と呼べるほどの造形はありません。けれど、特別な場所を区切り、清め、そこに聖なるものを感じるという感覚は、後の日本の庭の、深い根っこになっていきます。とりわけ、石を神聖なものとして見るまなざしや、白い砂のもつ清らかさへの感覚は、ずっと後の枯山水にまで、脈々と受け継がれていくことになります。

平安貴族の庭と、世界最古の庭づくりの書

時代がくだって平安時代になると、貴族たちが、立派な邸宅に庭をつくるようになります。

寝殿造(しんでんづくり)と呼ばれる貴族の屋敷では、建物の南側に広い池が掘られ、中島が浮かべられました。貴族たちは、その池に小舟を浮かべて遊び、岸辺で詩歌の会をひらき、季節のうつろいを楽しみました。中国から伝わった、池と島のある庭が、日本の貴族の暮らしのなかに、すっかり溶け込んでいたのです。

この時代に、おどろくべき書物が生まれます。作庭記(さくていき)と呼ばれる、庭づくりの教科書です。これは、世界でもっとも古い庭園の手引き書の一つとされています。そのなかには、石をどう据えるか、水をどう流すかといった、こまやかな技術が記されています。

なかでも心に残るのが、石を据えるときの心がまえです。作庭記は、その土地の地形や、石そのもののありようによく従って、石が「求めている」ように据えなさい、という意味のことを説いています。人の都合で石を支配するのではなく、石の声に耳をすます。この、自然の素材と対話する姿勢は、日本の庭づくりの、もっとも深い精神の一つとして、今日まで受け継がれています。

極楽浄土を、この世に

平安時代の終わりごろ、日本の庭に、新しい大きな流れが生まれます。浄土庭園です。

このころ、阿弥陀仏(あみだぶつ)を信じ、死後に極楽浄土へ生まれ変わることを願う信仰が、ひろく人びとの心をとらえていました。第II部で見たように、極楽浄土は、宝の池に蓮の咲く、光に満ちた楽園とされます。人びとは、その浄土を、絵や物語のなかだけでなく、この世に、目に見える庭としてつくり出そうとしました。

その代表が、京都の宇治にある、平等院の阿弥陀堂、のちに鳳凰堂(ほうおうどう)と呼ばれる建物です。11世紀の中ごろにつくられたこの建物は、阿弥陀仏のおわす、極楽浄土の宮殿に見立てられています。建物の前には広い池がたたえられ、その水面に、優美な姿が静かに映ります。池のこちら岸に立って水の向こうをながめると、まるで極楽浄土を、この目で拝んでいるかのように感じられたことでしょう。

此岸から、彼岸をのぞむ庭

浄土庭園には、第II部で見た仏教の世界観が、はっきりとかたちになっています。

池のこちら側の岸は、私たちが生きる、迷いと苦しみの世界、此岸(しがん)です。池の向こう側、お堂のある岸は、悟りと救いの世界、すなわち浄土、彼岸(ひがん)です。そして人は、こちらの岸から、水ごしに、はるかな彼岸をのぞみます。岩手県の平泉に残る毛越寺(もうつうじ)の庭でも、広い池をめぐって、この浄土の世界が再現されていました。

ここで、庭は、ただながめて美しい風景であるだけでなく、心を此岸から彼岸へと運ぶための、祈りの装置になっていました。海をこえて伝わった仏教の浄土の思想と、もともと日本にあった、聖なる場をまつる感覚。この二つが出会って、日本ならではの、深い精神性をたたえた庭が生まれたのです。

古代の庭が伝えるもの

日本の庭のはじまりは、私たちに、二つの大切な源を見せてくれます。

一つは、岩や木立に神を感じ、場所を清めてまつる、古来の聖なる感覚です。もう一つは、海をこえて伝わった、この世に浄土を再現しようとする、仏教の願いです。日本の庭は、この二つが溶け合うところに生まれ、自然の声に耳をすます、こまやかな精神を育てていきました。

ながめて楽しむだけでなく、神を迎え、浄土をのぞむ。日本の庭は、その出発点から、目に見えるものの向こうにある、聖なるものへのまなざしを、深くたたえていたのです。

次回は、この精神が、さらに研ぎ澄まされていくさまを見ます。水を一滴も使わずに、大海原や深山を表現する。禅の心が生んだ、枯山水の庭です。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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