前回のペルシャでは、庭が王の楽園であり、詩と美の場でした。今回訪ねる古代ギリシャでは、庭はずいぶん違う性格を持っていました。
ギリシャには、ペルシャのような、王の壮大な遊びの庭は、あまり発達しませんでした。そのかわりに、ギリシャの庭は、二つの方向に深まっていきます。一つは、神々のやどる聖なる森として。もう一つは、哲学者たちが語り合い、思索する場として。庭が、信仰と知恵の場になったのです。今回は、その二つの顔を見ていきます。
神々のやどる、聖なる森
古代ギリシャの人びとは、特定の森や木立を、神聖なものとして大切にしました。
神殿のまわりには、しばしば神にささげられた木立がありました。また、町から少し離れた森や泉のほとりは、ニンフ(泉や木の精)や、さまざまな神々がやどる場所だと考えられていました。そうした聖なる森は、テメノスと呼ばれる聖域として区切られ、むやみに木を切ったり、汚したりすることは、固く禁じられていました。聖なる木を切り倒すことは、神々の怒りを招く、おそろしい行いとされたのです。
ここには、自然のなかに聖なるものを感じる、ギリシャの人びとの感覚があらわれています。庭や森は、人が楽しむためにつくるものである前に、まず神々が住まう、おそれ多い場所でした。木陰のしずけさ、泉のせせらぎ、風にゆれる葉ずれ。そうしたもののなかに、人は目に見えない神々の気配を感じとっていたのです。
学びの庭、歩きながら考える場所
ギリシャの庭が果たしたもう一つの役割は、思索と学びの場でした。
哲学者プラトンが開いた学園、アカデメイアは、もともと町はずれの木立のなかにありました。弟子のアリストテレスが教えた学園リュケイオンも、同じように、木々に囲まれた散歩道を持っていました。哲学者たちは、緑のなかをゆっくり歩きながら、弟子たちと問答をかわし、世界の真理について語り合ったのです。
ここで、庭は学校になりました。屋根のある教室ではなく、木陰の散歩道で、歩きながら考える。緑のなかに身を置くことが、思索をうながし、対話を深めると考えられていたのでしょう。庭が、知恵をはぐくむ場所になっていたのです。涼しい木陰と、ほどよい静けさのなかで、人の心はのびやかに働く。その感覚を、ギリシャの哲学者たちは、よく知っていたのだと思います。
エピクロスの「庭」
なかでも印象的なのが、エピクロスという哲学者の学園です。
彼はアテネの郊外に、自分の学びの場をひらきました。そして、その学園は、ずばり「庭(ケーポス)」と呼ばれました。エピクロスと、その仲間たちは、その庭で、ともに質素に暮らし、野菜を育て、心の平静をめざして語り合ったと伝えられています。
ここでは、「庭」という言葉が、そのまま一つの生き方、一つの哲学を指すようになりました。富や名声を追いかけるのではなく、静かな庭で、わずかなもので満ち足りて生きる。エピクロスにとって庭は、そうした穏やかな良き生の、象徴そのものだったのです。庭で簡素に暮らすという選択が、一つの思想になった。このことは、後の時代にも長く響いていきます。庭と「良く生きること」とのつながりについては、第VI部であらためて深く考えてみたいと思います。
神話のなかの、はてしない庭
ギリシャの人びとは、物語のなかにも、理想の庭を思い描いていました。
たとえば、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』には、アルキノオス王の、一年じゅう実りが絶えることのない、ふしぎな庭が描かれています。一方の木に花が咲くころ、もう一方の木には実がなっている。季節をこえて、つねに豊かであり続ける、夢のような園です。また、世界の西のはてには、黄金のりんごのなる、ヘスペリデスの園があるとも語られました。
こうした神話の庭は、現実にはありえない、完全な豊かさのイメージでした。人は、手の届かない理想の園を、物語のなかに描くことで、心のなかに思い描いていたのです。ここにも、はるか彼方の楽園にあこがれる、あの人類共通の思いを見ることができます。
ギリシャの庭が示すもの
古代ギリシャの庭は、私たちに、庭のもう一つの可能性を見せてくれます。
それは、権力を見せつけるための庭ではなく、神々の気配を感じ、知恵をはぐくみ、良く生きることを学ぶための庭でした。聖なる森のしずけさ、木陰の散歩道での対話、質素な庭での満ち足りた暮らし。ギリシャの人びとが庭に求めたのは、富や誇示ではなく、心の深まりと、精神の自由だったのです。
人が庭に求めるものは、こんなにも幅広いものでした。乾いた大地で楽園を求めた人びとと、木立のなかで知恵を求めた人びと。庭は、それぞれの土地の、それぞれの願いを、静かに受けとめてきたのです。
次回は、地中海をはさんだもう一つの大国、古代ローマの庭を訪ねます。ギリシャとは対照的に、ローマでは、庭が暮らしのなかへ大きく入り込み、家のなかにまで持ち込まれていきます。
参考にした資料
- Britannica「temenos(Greek religion)」 https://www.britannica.com/topic/temenos-Greek-religion
- Britannica「The Garden(エピクロスの学園)」 https://www.britannica.com/place/The-Garden-school-Athens-Greece
- ホメロス『オデュッセイア』第7巻(アルキノオスの庭・原典) https://www.theoi.com/Text/HomerOdyssey7.html
── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。
同じことを考えている、近くの棚:



