ここから第III部です。第II部では、庭が宗教のなかで持った深い意味をたどってきました。ここからは視点を変えて、それぞれの文明が、実際にどんな庭をつくり、そこに何を求めたのかを、歴史の現場で見ていきます。神学の高みから、人間の暮らしと欲望の場へと、降りていきましょう。
最初に訪ねるのは、ここまで何度も名前の出てきたペルシャの庭です。じつはこのペルシャ庭園こそ、後の世界じゅうの「楽園のような庭」の、おおもとの原型でした。西はスペインから、東はインドまで、楽園の庭の血筋は、すべてここにさかのぼります。
王がつくった、最古の四分庭園
ペルシャ庭園の原型をさかのぼると、いまから2500年ほど前、古代ペルシャ帝国を築いたキュロス大王の庭にたどり着きます。
パサルガダエと呼ばれる王都に、彼はみごとな庭をつくらせました。そこには、石でていねいにつくられた水路が走り、その水路によって、庭が整然と区画されていました。これは、後にチャハルバーグと呼ばれる、四分割された庭の、もっとも古い例の一つと考えられています。第II部で見た「四つの水路を持つ楽園の庭」の、いちばん最初のかたちが、すでにここにあったのです。
まっすぐな水路、幾何学的な区画、その中心に置かれた東屋。乾いて起伏のとぼしいペルシャの大地に、人の手で水と緑と秩序をもたらしたこの庭は、王の力と理想を映す、地上の楽園でした。前に見た、自分で木を植えたと誇った王子の逸話も、このペルシャ庭園の伝統のなかにあったのです。
砂漠に水を運ぶ、地下の技術
これほどの庭が、乾いた大地でどうして可能だったのでしょうか。その秘密は、地下に隠れていました。カナートと呼ばれる、水を運ぶ技術です。
カナートとは、遠くの山のふもとから、ゆるやかに傾いた地下のトンネルを掘って、水を引いてくる仕組みです。地表を流せば、強い日ざしで蒸発してしまう貴重な水を、地下を通すことで、はるばる乾いた平野まで届けることができました。ペルシャの人びとは、この巧みな技術によって、砂漠のただなかにも、水のある園をつくり出すことができたのです。
庭の美しさは、こうした目に見えない技術に、深く支えられていました。水路を流れるすずやかな水、池に映る空、緑を保つ木々。その一つひとつの裏には、山から水を導く、気の遠くなるような工夫がありました。楽園は、ただ与えられたのではなく、人の知恵と労力によって、かろうじて成り立っていたのです。
詩と、ばらと、ぶどう酒の庭
ペルシャの庭は、宗教的な楽園であると同時に、もっと人間くさい、暮らしの楽しみの場でもありました。
ペルシャの文学には、庭がくり返し登場します。すぐれた詩人サアディーは、その代表作に「ばら園」という意味の名前をつけました。庭は、ばらが咲き、小鳥がさえずり、友と語らい、ぶどう酒をくみかわす場所でした。すずやかな木陰で、詩を吟じ、人生のはかなさと美しさに思いをはせる。そんな、五感を満たす歓びの空間だったのです。
ここには、これまで見てきた宗教的な庭とは、少し違う顔があります。信仰の場であるだけでなく、美を味わい、心を遊ばせ、人と人とが集う、文化の場としての庭です。人が庭に求めるものには、聖なる救いだけでなく、こうした地上の楽しみ、感覚のよろこびも、たしかに含まれていました。ペルシャの庭は、その両方を、ゆたかに抱えこんでいたのです。
持ち運べる庭、庭の絨毯
ペルシャ庭園への愛着の深さを、何より物語っているものがあります。庭を織りこんだ絨毯です。
ペルシャの人びとは、あの四分割された庭の風景を、そっくり絨毯のなかに織りこみました。中央に水路が交わり、区画ごとに花や木が咲き、水鳥が遊ぶ。庭そのものを、一枚の織物に写しとったのです。これは「庭の絨毯」と呼ばれます。
なぜ、そんなものがつくられたのでしょうか。一つには、冬のあいだや、庭を持てないときにも、その上に座れば、いつでも楽園のなかに身を置けるからだ、と言われます。庭への思いがあまりに強く、それを持ち運べるかたちにまでしてしまった。ここには、人が庭に寄せる憧れの深さが、よくあらわれています。本物の庭が手に入らないなら、せめてその姿を、足もとに敷いておきたい。そんな切実な願いが、一枚の絨毯になったのです。
楽園の原型が伝えるもの
ペルシャ庭園は、私たちに、いくつものことを教えてくれます。
それは、後の世界じゅうの楽園の庭の原型であり、目に見えない技術に支えられた、人工のオアシスであり、詩と美と楽しみに満ちた文化の場であり、そして、持ち運びたいほど深く愛された、憧れの結晶でした。乾いた大地に生きた人びとが、これほどまでに庭を求めたという事実は、人にとって庭が、どれほど切実なものでありうるかを、静かに語りかけてきます。
このペルシャの楽園の血筋は、西へ向かってイスラムの世界に受け継がれ、地中海をこえてヨーロッパへも影響を与えていきます。けれど、ヨーロッパには、また別の庭の源流もありました。次回は、地中海の世界、古代ギリシャの庭を訪ねます。そこでは、庭が、神々の聖域であり、そして哲学者たちが語り合う場でもありました。
参考にした資料
- The Metropolitan Museum of Art「Ideas of Empire: The Royal Garden at Pasargadae」 https://www.metmuseum.org/perspectives/pasargadae
- UNESCO World Heritage「The Persian Garden」 https://whc.unesco.org/en/list/1372/
- Wikipedia「Gulistan(サアディー『薔薇園』)」 https://en.wikipedia.org/wiki/Gulistan_(book)
── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。
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