第II部では、ゾロアスター教からはじまり、ユダヤ・キリスト教、イスラム、仏教、道教、そしてムガルの庭まで、さまざまな宗教と庭の関わりを見てきました。
そのあいだ、いくつもの信仰のなかに、くり返し顔を出してきたイメージがあります。「四つの川」、そして「四つに分けられた庭」です。今回は、この四という数をたどって、第II部を締めくくりたいと思います。ただし、ここには一つ、ていねいに扱うべき落とし穴があります。「四つに分ける形」と「四つの川という意味」は、じつは生まれた時代が違う、というすれ違いです。
エデンから流れ出す、四つの川
まず、旧約聖書のエデンの園を思い出してみましょう。
創世記には、エデンから一つの川が流れ出し、それが四つの流れに分かれて、大地を潤していた、と記されています。一つの水源から、四方へと広がっていく、四つの川。乾いた大地に水を行きわたらせることが切実な願いだった土地で、この描写は、楽園のイメージとして結晶しました。
楽園の四つの川、クルアーンとその先
時代をくだって、イスラムの聖典クルアーンにも、四つの川が登場します。
その47章15節には、腐らない水、味の変わらない乳、酔わせない酒、澄んだ蜜という、四つの川が流れる楽園が描かれています。エデンの四つの川と、クルアーンの四つの川。二つの聖典が、ともに「四つの川」というイメージを分かち持っているのです。
ただし、ここで一つ補っておきます。イスラムの伝承のなかには、楽園の四つの川を、この水・乳・酒・蜜とする系統のほかに、ナイルやユーフラテスといった、実在の大河になぞらえて語る系統もありました。「四つの川」と一口に言っても、その中身は一つに定まっていたわけではなく、いくつかの語りが重なっていたのです。
「形」が先、「意味」はあとから
さて、ここがいちばん大切なところです。
これまで、四つの水路で四分割された庭、チャハルバーグを、「聖典の四つの川を、そのまま地上に写しとった庭」として紹介してきました。けれど、もう少していねいに見ると、話はそう一直線ではありません。
じつは、庭を四つに分けるという「形」そのものは、イスラムが生まれるよりずっと前から、ペルシャの地にありました。前に見たキュロス大王のパサルガダエの庭が、その古い例です。つまり、四分割の庭という形は、まず先に存在していました。
そして、その四つの区画や水路を、「楽園の四つの川」になぞらえて読むという「意味」のほうは、イスラムの時代になってから、後づけで重ねられていった、と考えられています。先に器となる形があり、あとから聖典の意味が注ぎ込まれた、という順番です。
これは、庭の歴史を読むうえで、とても大切な区別です。形の系譜と、意味の系譜は、必ずしも同じ時間を流れていません。古い形に、新しい意味が宿る。あるいは、同じ形が、時代ごとに違う意味で読み直される。庭は、しばしばそういうふうに、幾重もの解釈を着重ねてきたのです。
なぜ「四」だったのか
では、なぜ人は、庭を「四」に分けたくなったのでしょうか。
その背景には、おそらく一つではなく、いくつもの意味が重なっています。東西南北という、四つの方角。四つの隅を持つ、四角形。さらには、四つの季節や、世界をかたちづくると考えられた四つの要素。そして、聖典の四つの川。四角い土地を十字に分けるという単純な形には、こうしたさまざまな「四」の意味が、時代や文化に応じて、入れかわり重ねられてきました。
一つだけ確かなのは、四つに分けて中心を立てるという形が、「整えられた世界全体」を小さく写しとる図として、くりかえし選ばれてきた、ということです。前に見た、宇宙の中心にそびえる山、須弥山やメール山を思い出してみてください。四つに分けた庭の中心と、宇宙の中心の山は、どちらも「世界の真ん中」を指し示しています。囲い、四つに分け、中心を立てる。そうして庭は、秩序ある世界の、小さな模型になっていきました。
別々の道から、同じ場所へ
第II部をふり返ると、一つの大きな絵が見えてきます。
ゾロアスター教では、庭は善の創造に加わる聖なる行いでした。ユダヤ・キリスト教では、失われ、取り戻したい楽園でした。イスラムでは、約束された天国の見本でした。仏教では、心を渡し、空にする装置でした。道教では、彼方の仙境を招き寄せる縮図でした。それぞれの庭は、まったく違う表情を持っています。
けれど、その奥には、おどろくほど共通したものが流れていました。庭とは、人が思い描く「あるべき世界の姿」を、小さくかたちにしたものだ、ということです。そして面白いのは、これらが一本の系図でつながっているというより、別々の土地で、別々の言葉と信仰のもとで、それぞれに「囲い、水を引き、中心を立てる」という似た形に行き着いている、という点です。直接の伝播だけでは説明のつかない、この符合のほうが、私にはむしろ興味深く思えます。無関係なはずのものが、同じ場所へたどり着く。そこにこそ、人と庭の関係の、深い何かが隠れている気がするのです。
神学から、歴史へ
ここまでの第II部では、庭が宗教のなかで持った「意味」を見てきました。庭は、楽園であり、宇宙の模型であり、聖なる行いの場でした。そして、その意味の多くは、もっと古い形の上に、あとから重ねられたものでもありました。
次の第III部からは、視点を変えます。それぞれの文明が、実際にどんな庭をつくり、そこに何を求めたのか。神学の高みから、歴史の現場へと降りていきます。最初に訪ねるのは、ここまで何度も名前の出てきた、すべての楽園のかたちの原型、ペルシャの庭です。
参考にした資料
- 創世記2章10〜14節(原典) https://www.biblegateway.com/passage/?search=Genesis+2&version=NRSVUE
- クルアーン47章15節(原典) https://quran.com/muhammad/15
- Encyclopaedia Iranica「ČAHĀRBĀḠ」 https://iranicaonline.org/articles/caharbag-lit
- Wikipedia「Rivers of Paradise」 https://en.wikipedia.org/wiki/Rivers_of_Paradise
── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。
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