道教の庭、海の彼方の仙境を招き寄せる

前回は、仏教の庭が「向こう岸へ渡る」「心を空にする」ための装置だったことを見ました。今回は、同じ東アジアの世界から、もう一つの庭の系譜を訪ねます。道教(どうきょう)と、その背景にある神仙思想(しんせんしそう)が生んだ庭です。

ここで出会う庭には、西の庭ともっとも対照的な性格があらわれます。西の庭が、楽園を「壁で囲って手もとにとどめる」ものだったとすれば、道教の庭は、はるか彼方にある理想郷を「こちらへ招き寄せる」ものでした。この「囲う」と「招く」という対比は、世界の庭を二つに分ける、大きな分かれ目になります。

海の彼方に、不老不死の山がある

古代の中国には、神仙思想という考え方がありました。仙人(せんにん)、すなわち、不老不死を得て自由に生きる存在への、あこがれです。

この思想によれば、東の海のはるか彼方に、仙人たちが住む、三つの神聖な山がそびえているとされました。蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛洲(えいしゅう)という、三つの島の山です。そこには、けっして老いず死なない仙人たちが暮らし、不死の薬があるとも信じられていました。

ここで大切なのは、この理想郷が「はるか彼方」にあった、という点です。西アジアの楽園が、壁で囲った身近な園として思い描かれたのに対して、東アジアの仙境は、海の向こうの、手の届かない遠い場所にありました。そして人びとは、その遠い理想郷に、強くあこがれたのです。

皇帝たちは、仙境を地上に呼び込もうとした

手の届かない仙境を、なんとかしてこの世に呼び込めないか。そう願ったのが、歴代の皇帝たちでした。

たとえば、中国を初めて統一した秦の始皇帝(しんのしこうてい)は、不死の薬を求めて、海の彼方へ使者を送ったと伝えられています。さらに彼は、自分の宮殿に水を引いて池をつくり、そこに島を築かせたともいわれます。理想郷をこの手にできないなら、そのかたちを、せめて自分の庭に再現しようとしたのです。

この試みを、はっきりとした形にしたのが、漢の武帝(かんのぶてい)でした。彼は、自分の宮殿に太液池(たいえきち)という大きな池を掘らせ、そのなかに三つの島を築いて、蓬莱、方丈、瀛洲と名づけたと、歴史書に記されています。海の彼方の三神山を、宮殿の池のなかに、そっくり写しとったのです。

このとき生まれた「一つの池に、三つの島(山)を配する」という庭のかたちは、一池三山(いっちさんざん)と呼ばれます。そしてこの型は、その後二千年以上にわたって、中国や日本の庭でくり返しつくられていくことになりました。庭の歴史のなかでも、おどろくほど命の長い「型」の一つです。

囲うのではなく、招き寄せる

ここで、西の庭と東の庭の、根本的な違いに目をとめておきたいと思います。

これまで見てきた西アジアの庭は、楽園を「壁で囲い、内と外を分ける」ことでつくられました。楽園はもともと身近にあるものとされ、それを囲って手もとに保つ、という発想です。

ところが、東アジアの仙境の庭は、まったく逆の身ぶりを持っています。理想郷は、はるか遠くにある。だから、それを囲い込むことはできません。できるのは、その姿を真似て、小さく再現し、こちらへ招き寄せることだけです。海の彼方の三神山を、庭の池のなかに縮めて呼び込む。この「縮景(しゅくけい)」、つまり大きな風景を小さく写しとるという発想こそ、東アジアの庭の核心にありました。

囲って閉じ込める西の庭と、招いて縮める東の庭。同じ「楽園を地上に」という願いでありながら、その手つきは正反対です。壁を立てて内側を守ろうとするのか、それとも、遠い理想を手まねきして引き寄せようとするのか。この対比は、世界の庭を読み解くための、一本の長いものさしになります。

道(タオ)と、ありのままの自然

神仙思想と深く結びついた道教は、庭の美しさにも、独特の方向を与えました。

道教は、道(タオ)、すなわち万物を貫く大いなる流れに、逆らわずに生きることを尊びました。人の手で自然を支配するのではなく、自然のなりゆきに身をゆだねる。無為自然(むいしぜん)、つまり、わざとらしい作為を捨てて、あるがままにある、という生き方です。

この精神は、後の章で見るフランスの幾何学的な庭とは、まるで反対の美意識を育てました。まっすぐな線や正確な対称ではなく、曲がりくねった水、不規則な石組み、自然のままに見える起伏。そうした「作為を感じさせない自然らしさ」が、東アジアの庭では尊ばれていきます。山と水、すなわち山水(さんすい)は、道そのもののあらわれとされ、庭はその道とふれあうための場になりました。

ここには、自然との向き合い方の、もう一つのかたちがあります。自然を囲い、整え、支配するのではなく、自然のふところに、そっと自分を置く。道教の庭は、人が自然に近づくための、また別の道を示してくれているのです。

二つの楽園のつくり方

ここまでで、世界の庭が、大きく二つの身ぶりを持つことが見えてきました。

一つは、楽園を壁で囲い、内と外を分ける、西アジアの身ぶりです。もう一つは、遠い理想郷を縮めて招き寄せる、東アジアの身ぶりです。囲うか、招くか。閉じるか、縮めるか。人類は、楽園をこの世にとどめようとして、二つの異なる方法を編み出してきました。

そして次回は、この二つの流れが、思いがけず出会う場所を訪ねます。西の四つに分けた庭と、東の宇宙の山という発想が、一つの帝国のなかで溶け合った。インドの大地に生まれた、ヒンドゥーとイスラムの庭、ムガル庭園です。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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