中世修道院の庭、壁のなかに取り戻す小さなエデン

前回は、イスラムの世界が、約束された楽園を四つの水路を持つ庭として地上に再現した話をしました。今回は、ふたたび西のキリスト教世界へ戻ります。

エデンを失った、と記憶していたキリスト教の人びとは、どうしたでしょうか。彼らは、修道院の高い壁のなかに、もう一度小さな楽園を再現しようとしました。世俗から切り離された、閉ざされた園。それは、失われたエデンを、壁の内側にひそやかに取り戻そうとする試みでした。

「閉ざされた園」という言葉

中世のキリスト教世界には、ホルトゥス・コンクルススという言葉があります。ラテン語で「閉ざされた園」という意味です。

この言葉のもとになったのは、旧約聖書のなかの雅歌(がか)と呼ばれる、愛をうたった詩の一節でした。そこには「わが妹、わが花嫁は、閉ざされた園」という表現が出てきます。もともとは恋人をたたえる比喩だったこの言葉が、中世の人びとによって、深い宗教的な意味を与えられていきました。

囲われ、閉ざされていること。外の世界から切り離され、清らかに守られていること。中世の人びとは、この「閉ざされた園」というイメージに、けがれなき魂のありようや、信仰によって守られた聖なる場所の姿を重ねていったのです。庭の「囲い込み」が、ここでは精神的な純粋さの象徴へと高められました。

聖母マリアの庭

「閉ざされた園」は、やがて、ある特別な存在と強く結びつけられるようになります。聖母マリアです。

外から閉ざされ、けがれなく守られた園。その姿が、純潔の象徴である聖母マリアにふさわしいと考えられたのです。中世のおわりごろから、絵画や写本の挿絵には、壁や垣根に囲まれた庭のなかに座る、聖母マリアの姿がくり返し描かれるようになりました。

その庭に咲く花にも、一つひとつ意味がこめられていました。たとえば赤いばらは、キリストや殉教者の流した血の象徴とされ、白いばらや白百合は、マリアの清らかさの象徴とされました。花は、ただ美しいだけの植物ではなく、信仰の物語を語る記号になっていたのです。

ここでも、庭は単なる自然の集まりではありませんでした。それは、目に見えない聖なるものを、目に見える草花のかたちで語る、絵解きの場でもあったのです。

世俗を断ち切る、祈りの庭

実際の修道院の庭も、つねに壁や垣根で囲まれていました。

これには、現実的な理由もありました。家畜が入り込んだり、盗みにあったりするのを防ぐためです。けれど、それだけではありませんでした。囲うことには、もっと深い意味がこめられていました。壁の外には、罪に満ちた俗世が広がっている。壁の内には、祈りと静けさに満ちた、清らかな世界がある。修道院の庭の囲いは、この二つの世界を、はっきりと分け隔てる線だったのです。

修道院の中心には、回廊にぐるりと囲まれた中庭がありました。そこは、修道士たちが歩きながら祈り、静かに思いをめぐらせる場所でした。四方を建物と回廊に閉ざされ、外の喧噪からまったく切り離されたその中庭は、いわば地上に開いた、小さな天国の窓のようなものでした。

この閉ざされた庭は、失われたエデンを、壁の内側に再現しようとする試みだったとも言えます。人類が追われたあの園を、せめてこの囲いのなかに、もう一度かたちにする。中世の修道院の庭には、楽園を取り戻したいという、あの願いが、静かに息づいていたのです。

体も癒やす、薬草の園

修道院の庭には、祈りや象徴とならんで、もう一つ大切な役割がありました。薬草を育てることです。

医療が今のように発達していなかった時代、修道院は、人びとの体を癒やす知識の宝庫でもありました。修道士たちは、庭の一画で、さまざまな薬草を育てました。痛みをやわらげる草、傷を治す草、熱をさます草。これらの植物の知識は、修道院のなかで写本に書きとめられ、大切に受け継がれていきました。

ここで、庭は、魂を整える場であると同時に、体を整える場にもなりました。祈りの庭と、薬草の庭。心の癒やしと、体の癒やしが、同じ修道院の壁のなかで、ひとつに結ばれていたのです。庭が、人をまるごと癒やす場所であった、と言ってもよいかもしれません。植物のそばに身を置くことと、人が回復していくことのつながりは、すでにこの時代の庭のなかに、はっきりと見てとれます。

囲いが、心の避難所になるとき

中世の修道院の庭が見せてくれるのは、「囲い込み」が、心の避難所になりうる、ということです。

第I部で見たように、庭はもともと「囲うこと」から生まれました。中世のキリスト教世界では、その囲いが、俗世から身を守り、清らかさを保ち、失われた楽園を取り戻すための、精神的な壁になりました。壁の内側は、祈りと癒やしと静けさに満ちた、もう一つの世界だったのです。

人が庭に「囲われていたい」と願うとき、その奥には、もしかすると、騒がしい世界からひととき切り離されて、守られた場所で息をつきたい、という思いがあるのかもしれません。中世の修道士たちが壁のなかに求めたものは、現代の私たちが小さな庭に求めるものと、案外、地続きなのではないでしょうか。

ここまでは、西アジアから生まれた一神教の庭をたどってきました。次回からは、大きく視点を東へ移します。同じ「庭は楽園」という思いが、まったく違う風土と思想のなかで、どんな庭を生んだのか。まずは、仏教の世界を訪ねてみたいと思います。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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