エデンの園、失われた楽園と、取り戻したい願い

前回は、ゾロアスター教において庭づくりが「善の側に立つ聖なる行い」だったことを見ました。その「庭は楽園である」という考え方は、となりの一神教の世界へと流れ込みます。そして、おそらく世界でいちばん有名な庭の物語を生みました。

エデンの園です。

ただし、この庭はふしぎな庭です。多くの古代の庭が「いま、ここにある楽園」だったのに対して、エデンは「かつてあって、もう失われてしまった楽園」として語られます。エデンは、はじめから「うしなわれたもの」として記憶されている庭なのです。今回は、その喪失の物語が、人と庭の関係にどれほど深い影を落としているかを見ていきます。

神が「植えた」庭

旧約聖書の創世記には、世界のはじまりが語られています。そのなかで、神はエデンに一つの園を「植えた」とされます。庭をつくった主体が、ほかならぬ神そのものだった、というところに、まず目をとめておきたいと思います。

その園には、見て美しく、食べてよい実をつける、あらゆる木が生えていました。中央には、命の木と、善悪を知る木という、二本の特別な木が立っていたと語られます。そして園からは一つの川が流れ出し、四つの流れに分かれて大地を潤していました。

前回までに見てきた楽園のイメージが、ここにそろっています。水があり、緑があり、実りがあり、囲われている。エデンの園は、もとのヘブライ語で「ガン・エデン」と呼ばれます。この「ガン」が「囲う、守る」という言葉から来ていたことは、すでに見たとおりです。エデンもまた、囲われた園、すなわち楽園でした。

楽園は、追放とともに失われる

ところが、この園の物語は、幸福なままでは終わりません。

そこに住んだ最初の人間は、神が禁じた善悪を知る木の実を食べてしまいます。その結果、彼らは園から追放されてしまいました。聖書は、園の入り口に、炎の剣を持つ番人が置かれ、二度と中へ戻れないようにされた、と語ります。

ここで、楽園は「失われたもの」になりました。

これは、庭の歴史を考えるうえで、とても大きな転換点です。それまでの庭が、いま手にしている恵みであったのに対して、エデンは「かつて持っていて、自分の過ちで手放してしまった場所」になったのです。人間は、楽園の外に生きる存在として、自分を理解するようになりました。私たちは、いわば楽園を追われた者の子孫である、という物語です。

人は、庭で働くために置かれた

もう一つ、見逃してはならない一節があります。神が人間を園に置いたのは、ただ遊ばせるためではありませんでした。聖書には、人は園を「耕し、守る」ために置かれた、と記されています。

つまり、世話をすることが、人間に最初に与えられた務めだったのです。庭の手入れは、罰でも労役でもなく、楽園における人間の本来のつとめでした。緑を育て、園を守ること。それが、人がこの世界で果たすべき、いちばん最初の仕事だったわけです。

ところが、追放のあとで、この「働き」の意味が変わってしまいます。楽園の外の大地は、いばらやあざみを生やし、人は額に汗して、苦労してパンを得なければならなくなった、と語られます。楽園のなかでの「世話」は喜びでしたが、楽園の外での「労働」は苦しみになったのです。

ここに、庭仕事というものの、ふしぎな二面性があらわれています。土をいじり、植物を育てる行為は、一方では失われた楽園での喜びの記憶につながり、もう一方では楽園を追われた人間の苦役にもつながっている。庭仕事は、この喜びと苦労のあいだに、いまも立っているのです。

取り戻したい、という終わらない願い

エデンの物語が人類に残したいちばん大きなものは、おそらく「取り戻したい」という願いです。

かつて楽園があった。けれど、もう失われた。だからこそ人は、それをもう一度、この地上にかたちにしたいと願う。これは、その後の西洋の庭づくりを、深いところで動かしつづける力になりました。庭をつくるという行為の奥に、失われたエデンをふたたび手にしたい、という祈りにも似た思いが流れている、と見ることができます。

興味深いことに、聖書という書物は、庭ではじまり、庭で終わります。冒頭の創世記にエデンの園があり、最後の黙示録には、新しい都のただなかに、命の木がふたたびよみがえる幻が描かれます。失った園を、終わりのときに取り戻す。聖書全体が、楽園の喪失と回復の物語として、大きな円を描いているのです。

人にとって庭とは、ただの土地ではなく、「帰りたい場所」「取り戻したい故郷」でもありました。エデンの物語は、その思いに、もっとも深い言葉を与えたのだと思います。

失われた庭から、約束された庭へ

ここまで見てきたエデンは、「過去にあって、失われた楽園」でした。

けれど、同じ一神教の流れのなかから、もう一つ別の楽園のとらえ方が生まれます。それは、失われた過去ではなく、これから約束される未来としての楽園です。そして、その楽園を、待つだけでなく、いま地上にくっきりとかたちにしてみせた文化がありました。

次回は、その庭を訪ねます。聖典に約束された楽園を、四つの水路を持つ庭として地上に再現した、イスラムの世界です。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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