ゾロアスター教、庭が神学になるとき

第I部では、庭が「囲い込み」から生まれたことを見てきました。ここからの第II部では、その囲われた園が、世界の宗教のなかでどんな意味を与えられていったのかをたどっていきます。

最初に訪ねるのは、古代ペルシャに生まれた、ゾロアスター教という信仰です。じつはこの宗教において、庭はただの憩いの場ではありませんでした。庭をつくり、緑を育てること自体が、神への奉仕であり、世界を善く保つための行いだったのです。庭が「神学そのもの」になった、と言ってもよいかもしれません。

世界でいちばん古い「啓示の宗教」の一つ

ゾロアスター教は、いまから数千年前の古代ペルシャ、現在のイランのあたりで生まれたとされる宗教です。開いたのは、ゾロアスター(ザラスシュトラ)と呼ばれる預言者でした。

この宗教が世界の歴史にとって重要なのは、その古さだけではありません。のちのユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった信仰に、深い影響を与えたと考えられているからです。たとえば、天国と地獄という考え方や、世界の終わりに善が勝つという物語の骨組みは、ゾロアスター教にその源の一つを持つ、としばしば指摘されます。

そして前回までに見てきた paradise(楽園)という言葉も、もとをたどればこのペルシャの pairidaeza(壁で囲まれた園)にさかのぼります。つまり、私たちが「楽園」と呼ぶものの、いちばん古い土壌の一つが、このゾロアスター教の世界観のなかにあったのです。

世界は、善と悪の戦いの場である

ゾロアスター教の世界観を理解する鍵は、「善と悪の戦い」にあります。

この宗教では、最高神アフラ・マズダー(知恵の主、という意味です)が、光と秩序と生命をつかさどる善なる神とされます。それに対して、闇と混沌と死をもたらす悪の力が立ちはだかります。世界は、この善と悪とがせめぎ合う、巨大な戦いの舞台だと考えられました。

ここで大切なのは、人間がその戦いの、ただの見物人ではないという点です。一人ひとりが、善い思い、善い言葉、善い行いを積み重ねることで、善の側に力を貸す。逆に、怠けたり荒らしたりすれば、悪の側を助けてしまう。日々の暮らしの一つひとつが、世界を善くするか悪くするかの、小さな選択になっていたのです。

この考え方が、庭というものに、ほかの文化にはない重い意味を与えることになります。

緑を育てることは、善の創造に加わること

ゾロアスター教では、善なる神アフラ・マズダーが、この世界を段階を追ってつくり上げたと語られます。空がつくられ、水がつくられ、大地がつくられ、そして植物がつくられた、というふうにです。植物は、この世界をかたちづくる、神聖な創造物の一つに数えられていました。

ここから、一つの考えが導かれます。木を植え、緑を育て、土地を潤すことは、アフラ・マズダーの善き創造に、人の手で加わることだ、という考えです。

乾いて荒れた大地は、放っておけば、混沌と死の側へ傾いていきます。そこに水を引き、緑をよみがえらせ、整った園をつくることは、悪の支配を押し返し、善の秩序を地上にひろげる行為にほかなりません。だから庭づくりは、ただの趣味でも、ぜいたくでもありませんでした。それは、善の側に立つという、宗教的な意味を帯びた営みだったのです。

囲われた園、すなわち pairidaeza は、こうして「世界のあるべき姿を、小さく再現した模型」になりました。空と水と大地と植物という、神の創造の要素をひとところに集め、整然と保たれた庭は、宇宙の善き秩序を映す鏡だったのです。

だから、王は庭づくりを誇った

ここで、前に見た一つの逸話を思い出してみてください。ペルシャの王子キュロスが、自分の手で木を植えたと誇った、あの話です。

ゾロアスター教の世界観を知ると、あの誇りの意味が、より深く見えてきます。王が庭をつくり、緑を整えることは、単なる富の誇示ではありませんでした。それは、世界に善き秩序をもたらす、王の聖なる務めだったのです。乾いた大地を潤し、整った園を生み出す王は、地上においてアフラ・マズダーの仕事を代行している、とみなされたのでしょう。

古代ペルシャの王たちの墓、ナクシェ・ロスタムと呼ばれる岩山には、王が神から王権を授かる姿が刻まれています。高く据えられた火壇の前で、王が祈りを捧げる姿も彫られています。王と神と秩序とが、分かちがたく結びついていた世界です。その世界において、囲われた園は、王の信仰と権威がかたちになった場所でもありました。

庭が、信仰のかたちになる

ゾロアスター教は、私たちに、庭の歴史のなかでもとりわけ重要なことを教えてくれます。

それは、庭が「宗教的な意味」を持ちうる、ということです。この信仰のなかで、庭は憩いの場であるだけでなく、善と悪のせめぎ合う世界において善の側に立つための、聖なる行いの場になりました。緑を育てることが、世界を救うことにつながる。この壮大な考え方が、囲われた園に、深い精神的な重みを与えたのです。

そしてこの「庭は楽園である」という観念は、ペルシャの地にとどまりませんでした。それは、となりに生まれた一神教の世界へと流れ込み、やがて、人類が最初に住み、そして失ってしまった、あの有名な園の物語へとつながっていきます。

次回は、その園を訪ねます。ユダヤ教とキリスト教が語りついできた、エデンの園です。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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