世界の七不思議、と聞いて、いくつ思い浮かぶでしょうか。ギザのピラミッド、オリンピアのゼウス像、そしてもう一つ、バビロンの空中庭園があります。
このシリーズでこれまで見てきたのは、土に根ざした実在の庭ばかりでした。けれど今回たずねるのは、少し性格の違う庭です。だれもが名前を知っているのに、いまだにその実在すらたしかめられていない、伝説のなかの庭——それが、バビロンの空中庭園です。庭の歴史のなかで、これほど有名で、これほど謎に満ちた存在も、めずらしいと思います。
故郷の山を恋しがった、王妃のために
まず、語り継がれてきた物語のほうから見てみましょう。
伝説によれば、空中庭園をつくらせたのは、新バビロニア王国の王、ネブカドネザル2世だとされています。紀元前6世紀、いまから2600年ほど前のことです。彼には、アミティスという名の王妃がいました。王妃は、緑ゆたかな山あいの国の出身で、平らで乾いたバビロンの風景のなかで、故郷の山々を恋しがって元気をなくしていた、と伝えられています。
そこで王は、王妃のために、階段状に高く積み上げたテラスをつくり、その一面に木々と草花を茂らせました。平らな大地のただなかに、緑におおわれた人工の山を出現させたのです。遠くからながめれば、まるで緑が空に浮かんでいるように見えたことでしょう。それは、愛する人のために、ないはずの山をつくり出した、という美しい物語でした。
夫が妻の郷愁をいやすために庭をつくる。この逸話は、長いあいだ人びとの心をとらえ、空中庭園を奇跡の象徴にしてきました。
けれども、誰も実際には見ていない
ところが、この物語をくわしく調べていくと、足もとが急にあやしくなってきます。
まず、空中庭園について書き残したのは、ギリシャやローマの著述家たちでした。たとえば紀元前290年ごろ、バビロンの神官ベロッソスが記したものが、最も古い言及の一つとされています。しかも、そのベロッソスの記述すら原文は失われ、後世の著述家による引用のかたちでしか伝わっていません。けれど、こうした記録はどれも、庭がつくられたとされる時代から何百年もたってから、しかも実際にその目で見たわけではない人びとによって書かれたものでした。じかに見た人の証言は、一つも残っていないのです。
さらに不思議なことがあります。バビロン自身が残した記録のなかに、この庭はまったく出てきません。ネブカドネザル2世は、自分の業績をたくさんの碑文に刻ませた王でした。けれど、そのどこにも、壮大な庭をつくったという話も、技術的な工事の話も、見あたりません。王妃アミティスの名前さえ、バビロン側の記録には登場しないのです。
そして決定的なのが、考古学の沈黙です。バビロンの遺跡はくり返し発掘されてきましたが、これこそ空中庭園だ、と断定できる確かな痕跡は、いまだ見つかっていません。これほど有名でありながら、物そのものの証拠がない。空中庭園は、いわば「うわさだけが残った奇跡」なのです。
「空中」は、思いちがいだったのか
そもそも「空中庭園」という呼び名にも、ちょっとした行きちがいがあります。
もとになったギリシャ語の言葉は、「空に浮かんでいる」という意味ではなく、「張り出している」「せり出している」といった意味あいの言葉だったと考えられています。つまり、宙づりになった庭ではなく、テラスが段々にせり出して、そこから草木が垂れさがっている、という光景を指していたようなのです。
それが翻訳を重ねるうちに、いつしか「空中に浮かぶ庭」というイメージへとふくらんでいきました。私たちが思い描く幻想的な空中庭園は、もしかすると、言葉の行きちがいが育てた像なのかもしれません。
庭は、本当はべつの都にあった?
では、この奇跡は、まったくの作り話だったのでしょうか。ここで、たいへん興味深い説を紹介したいと思います。
オックスフォードの研究者ステファニー・ダリーは、長年メソポタミアの古い言葉を研究するなかで、ある可能性にたどり着きました。空中庭園は、じつはバビロンではなく、もっと北にあったアッシリアの都ニネヴェの庭だったのではないか、というのです。
前々回、アッシリアの王センナケリブが、都ニネヴェに壮大な庭をつくった話に少し触れました。ダリーが注目したのも、まさにこの王の庭でした。新しく読み解かれたセンナケリブの記録には、彼が「すべての人びとの驚異」となる宮殿と庭をつくったことが記されています。さらにニネヴェの周辺からは、遠くの山から水を引いてくる大がかりな水路のあとが見つかり、そこには「広大な距離をこえて、ニネヴェまで水路を導いた」という碑文まで添えられていました。宮殿の壁の浮き彫りには、水路に潤されたゆたかな庭の様子も描かれていたのです。
ダリーは、こう考えました。バビロンとニネヴェ、二つの都の記憶が、長い年月のあいだに混同され、本当はニネヴェにあったセンナケリブの庭が、より有名なバビロンの、より有名なネブカドネザル王のものとして語り継がれてしまったのではないか、と。あまりに名高いバビロンが、よそにあった奇跡まで吸い寄せてしまった、というわけです。
真偽のほどは、まだ決着していません。けれど、この謎解きは、伝説の奥に実在の庭の影を見せてくれる、魅力的な仮説だと思います。
幻の庭が教えてくれること
実在したのか、別の都にあったのか、あるいはふくらんだうわさだったのか。空中庭園をめぐる謎は、いまも解けきっていません。
それでも、この伝説が二千年以上にわたって語り継がれてきたこと自体に、大切な意味があるように思います。平らで乾いた大地のただなかに、緑あふれる山を出現させる。高いところまで水を持ち上げ、ないはずの楽園をつくり出す。空中庭園の物語は、人が庭に託してきた夢の、いちばん極端なかたちなのです。
それは、自然のなりゆきに逆らってでも、ここに楽園を立ち上げてみせる、という意志のあらわれでした。庭とは、ときに「あるはずのないもの」を、力ずくでこの世に呼び出そうとする営みでもあったのです。
さて、第I部もいよいよ大づめです。次回は、ここまで何度もくり返し顔を出してきた「囲い込み」という言葉そのものに、正面から向き合ってみたいと思います。庭が一本の線を引くとき、人は何を内に守り、何を外へ追いやっているのでしょうか。
参考にした資料
- Stephanie Dalley『The Mystery of the Hanging Garden of Babylon』(Oxford University Press, 2013、ニネヴェ説の原典)
- World History Encyclopedia「Hanging Gardens of Babylon」 https://www.worldhistory.org/Hanging_Gardens_of_Babylon/
- Britannica「Hanging Gardens of Babylon」 https://www.britannica.com/place/Hanging-Gardens-of-Babylon
── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。
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