古代エジプトの庭、砂漠のなかの永遠

前回は、メソポタミアで庭が「水を囲い込むこと」から生まれた話をしました。今回は、もう一つの乾いた大地、古代エジプトの庭を訪ねてみたいと思います。

エジプトは、ナイル川という大きな恵みを持ちながら、一歩その流れを離れれば、すぐに砂漠が広がる国でした。だからこそ、この地の庭は、ひときわはっきりと「砂漠に抗って囲い込んだ、緑と水の別天地」という姿をしています。そして、その庭には、生きている者だけでなく、死んだ者の願いまでもが託されていました。

壁のなかの、四角い水辺

古代エジプトの庭がどんなものだったかは、お墓に描かれた絵から、おどろくほど具体的に知ることができます。

よく知られているのが、セネフェルという人物の墓に描かれた庭園図です。セネフェルは、いまから3400年ほど前、アメンホテプ2世という王の時代に、都テーベの市長をつとめた高官でした。彼の墓には、生前に持っていたとされる庭が、設計図のように描かれていました。いま私たちがその姿を知ることができるのは、19世紀にロセッリーニという研究者が残した模写を通してですが、そこには庭のようすが、おどろくほど具体的に写しとられています。

その絵を見ると、庭の姿がありありと浮かんできます。まわりはぐるりと高い日干しレンガの塀で囲まれ、外の砂漠とははっきり仕切られています。庭のなかへは、水路から舟で入っていく造りになっていました。内側には、ナツメヤシやイチジク、ザクロの木が整然と並び、ブドウの棚が日陰をつくっています。そして中央には、四角く掘られた池がありました。蓮の花が浮かび、魚が泳ぎ、水鳥が遊んでいます。

塀の外には灼けつく砂と熱があり、塀の内には水と緑と日陰がある。この内と外の落差こそが、エジプトの庭の本質でした。前回見たメソポタミアと同じく、ここでも庭は「囲って、水を満たした緑の別世界」だったのです。

水を持ち上げるという、終わりのない労働

こうした緑を保つことは、けっして楽なことではありませんでした。

雨のほとんど降らないエジプトでは、庭の植物を生かすために、人が毎日せっせと水を運び、まかなければなりませんでした。そのために使われたのが、シャドゥーフ(はね釣瓶)と呼ばれる道具です。長い棒の一方に水をくむ桶を、もう一方に重しをつけ、てこの原理で川や池から水をくみ上げる仕組みでした。

この単純な道具で、人びとは来る日も来る日も水をくみ、庭へと運びました。緑の楽園は、放っておいて手に入るものではなく、たえまない手入れによってかろうじて保たれる、人工のオアシスだったのです。

ここには、庭というものの正体が、よくあらわれています。庭は、自然がひとりでに与えてくれる恵みではありません。砂漠という大きな力に逆らって、人が水と労働をつぎ込みつづけることで、ようやく成り立つ場所でした。緑を囲い込むとは、同時に、それを守りつづける手間を引き受けることでもあったのです。

死者のための、永遠の庭

エジプトの庭には、もう一つ、深い意味が重ねられていました。それは「来世」とのつながりです。

さきほどのセネフェルの庭が、なぜ墓のなかに描かれたのかを、考えてみてください。それは、死んだあとの世界でも、この緑ゆたかな庭でやすらいで暮らしたい、という願いのあらわれでした。エジプトの人びとにとって、庭は現世の楽しみであると同時に、来世でも続いてほしい永遠の風景だったのです。

なかでも池に浮かぶ蓮の花は、特別な意味を持っていました。蓮は、朝になると花を開き、夕方になると閉じて水にしずみます。そして翌朝、また花を開きます。この毎日のくり返しが、太陽の運行や、死と再生のしるしとして受けとめられました。庭の池に咲く蓮は、ただ美しいだけでなく、「よみがえり」の象徴でもあったわけです。

こうして庭は、生と死をつなぐ場所になりました。砂漠のなかの緑が「死をしりぞけて生をかこい込んだ場所」だとすれば、それが来世の願いと結びついたのは、ごく自然な流れだったのかもしれません。

神々の庭と、整えられた秩序

庭は、神々ともつながっていました。

エジプトの神殿には、聖なる池や、神にささげられた木立がもうけられていました。特定の木は特定の神とむすびつけられ、たいせつに育てられました。庭をつくり、緑を保つことは、神への奉仕でもあったのです。

そして、エジプトの庭を特徴づけるのが、その整然とした形です。木はまっすぐな列に植えられ、池は端正な四角形に掘られ、全体が左右対称に整えられていました。この「きちんと整っていること」は、エジプトの人びとが世界の根本においた、マアトと呼ばれる観念につながっています。マアトとは、宇宙の正しい秩序、真理、調和をあらわす言葉でした。

乱れた砂漠の自然に対して、人の手でまっすぐな線と正確な形を与える。それは、世界に正しい秩序をもたらす行為そのものでした。エジプトの庭の幾何学的な美しさの奥には、「混沌をしりぞけ、秩序を立てる」という、宗教的とも言える願いがこめられていたのです。

エジプトの庭が見せてくれるもの

ここまでをふり返ってみましょう。

古代エジプトの庭は、砂漠のなかに壁で囲った、水と緑の別天地でした。それは、たえまない労働によって保たれる人工のオアシスであり、同時に、来世でも続いてほしいと願われた永遠の庭であり、さらには宇宙の秩序を地上にうつした、整然たる小世界でもありました。

メソポタミアとエジプト、二つの乾いた大地が、別々に、しかしよく似たかたちで、「囲い込まれた水の楽園」にたどり着いていたことになります。庭とは、死と砂漠に抗って、生と秩序を守るために引かれた線だったのです。

次回は、その「囲い込み」の歴史のなかでも、もっとも有名で、もっとも謎めいた庭を訪ねます。世界の七不思議の一つに数えられながら、いまだ誰もその姿をたしかめられていない、バビロンの空中庭園です。


参考にした資料


── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。

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