「庭が欲しい」と、私たちは言います。けれど、その「庭」という言葉そのものが、いったい何を指してきたのかを、立ち止まって考えることはあまりありません。
言葉には、地層のように意味が積み重なっています。「庭」や garden という単語をさかのぼってみると、人が庭に何を求めてきたのかの、いちばん古い痕跡が見えてきます。そして面白いことに、西洋の「庭」と日本の「庭」は、まったく違う場所から出発していました。
このシリーズの最初に、その言葉の起源をたどってみたいと思います。
garden ── 「囲い込む」という一点から
英語の garden(ガーデン)は、たどっていくと、ヨーロッパからインドまでの多くの言語の共通の祖先と考えられている言葉、印欧祖語(いんおうそご)にたどり着きます。その根っこにあるのが gher- という語根です。
この gher- が意味するのは、「掴む」「囲い込む」ということでした。
ここが出発点です。garden の根には、美しさや植物ではなく、まず「囲うこと」がありました。
驚くのは、この一つの根から、たくさんの言葉が枝分かれしていることです。英語の yard(ヤード/家のまわりの地面)も、orchard(オーチャード/果樹園)も、同じ根の系列から来ています。さらにラテン語の hortus(ホルトゥス/庭)、ギリシャ語の khortos(コルトス/家畜を囲った場所、転じてまぐさ)、古アイルランド語の gort(畑)も、たどれば「囲う」という同じ語根の親戚です。帯で体を締めることを表す girdle(ガードル)のような言葉とも、遠い縁つづきだと考えられています。締めることと、庭をつくることが、言葉の根のところでは同じ「囲う」という動作だったわけです。
古い英語では geard(ゲアルド)という形で、これは「柵で囲った囲い地、庭」を意味しました。ドイツ語の Garten(ガルテン)も、ここから来ています。
ある研究者は、こう言い切っています。語源から見るかぎり、庭とは何かを最もよく捉えているのは、「囲い込み(enclosure)」という観念である、と。
つまり西洋の庭は、植物の集まりである前に、まず「線を引いて、内と外を分けた場所」だったのです。何を囲い込み、何を締め出したのか。この問いは、このシリーズを通して何度も戻ってくることになります。
日本の「にわ」── 行いがおこなわれる平らな場
では、日本語の「庭(にわ)」はどうでしょうか。
ここで、西洋とは違う風景が見えてきます。
古い日本語で「にわ」は、もともと植物のある観賞の空間を指していませんでした。それは「何かを行うための、平らな場所」を意味していたのです。
たとえば、神を迎えてまつりごとをおこなう平らな場所が「にわ」でした。狩りをする場も、農作業をする場も「にわ」と呼ばれました。さらに興味深いことに、波がおだやかに凪いだ平らな海面まで「海の庭」のように言ったといいます。共通しているのは、植物ではなく、「平らに開けている」という性質のほうでした。
語源には諸説あります。土を意味する語の系列から来たとする説もあれば、「な(滑・平)」という、なめらかで平らなことを表す言葉に由来するという説もあります。どの説をとっても、「平らな場」というイメージが核にあることは共通しています。
西洋の garden が「囲って分ける」ことから始まったのに対して、日本の「にわ」は「平らに開けて、何かを行う」ことから始まりました。片方は囲いから、もう片方は場から出発したわけです。これは、なかなか対照的だと思いませんか。
「にわ」と「その(園)」は、もともと別ものだった
もう一つ、知っておくと面白いことがあります。
奈良時代の日本では、草木を植えたり池を掘ったりした、いまでいう「庭園」にあたる場所は、「にわ」とは呼ばれていませんでした。それは「園(その)」や「島(しま)」と呼ばれ、平らな作業の場である「にわ」とは、はっきり区別されていたのです。
「その」は、草木を育てる囲われた場所を指す言葉でした。ここでようやく、西洋の garden に近い「囲って植物を育てる空間」という観念が、日本語にも現れます。
ところが平安時代のころから、この区別がゆるんでいきます。「にわ」のほうが、しだいに庭園そのものを指すようになっていきました。私たちがいま「庭」と呼んでいるものは、本来の「平らな行いの場(にわ)」と「草木を育てる囲い(その)」が、長い時間をかけて溶け合った結果なのです。
だから現代の私たちが「庭が欲しい」と言うとき、その一語のなかには、じつは二つの古い欲求が重なっています。一つは「囲って自分の場所をつくりたい」という欲求であり、もう一つは「何かをおこなう、ひらけた場が欲しい」という欲求です。
漢字の「庭」も、平らな場をあらわした
ここで、もう一つの「庭」にも目を向けてみましょう。私たちが使っている漢字の「庭」です。
この字も、興味深いことに、日本語の「にわ」と深いところで響き合っています。「庭」という字は、建物をあらわす「广(まだれ)」と、「廷」という字を組み合わせてできています。「廷」は、朝廷や役所、つまり人が集まる、ひらけた平らな場所を指す字でした。ですから「庭」は、もともと建物の前にひろがる、平らな広場や中庭を意味していたのです。中国においても、「庭」は建物の前の平らな空間を指す言葉でした。
つまり、漢字の文化圏でも、「庭」は植物の空間である前に、「建物に付属した平らな場」だったわけです。日本語の「にわ(平らな行いの場)」と、漢字の「庭(建物前の平らな広場)」は、別々の言語でありながら、同じ「平場」のイメージを分かち合っていました。
ここに来て、西洋の garden(囲い)と、東アジアの庭(平場)という、二つの大きな流れが、いっそうはっきりと姿を見せます。一方は「外と分けるために囲う」ことから、もう一方は「人が集い、何かを行うために平らにひらく」ことから、庭という観念を育ててきました。同じ「庭」という訳語をあてているけれど、その奥には、ずいぶん違う身ぶりが隠れていたのです。
さらに、英語の garden の親戚をたどっていくと、horticulture(ホーティカルチャー/園芸)という言葉にも行き当たります。これはラテン語の hortus(囲った庭)と、cultura(耕すこと、世話をすること)が合わさってできた言葉です。囲うこと、そして耕し世話をすること。この二つが、西洋の園芸の核に置かれていました。「囲う」と「世話する」という組み合わせは、このシリーズの後半で「人はなぜ植物の世話をするのか」を考えるときに、もう一度たずねてくることになります。
言葉が教えてくれること
言葉の起源をたどっただけで、すでにいくつかのことが見えてきました。
西洋の庭は「囲い込み」から生まれ、日本の庭は「平らな行いの場」から生まれた。出発点は違っても、どちらも「日常とは少し違う、特別に区切られた場所」を求める言葉だったという点では、深いところでつながっています。
人が庭に求めてきたものを知るために、私たちはまず、この「囲うこと」と「場をひらくこと」という二つの古い糸を、手にしたことになります。
次回は、英語の paradise(楽園)という言葉をさかのぼってみます。じつはこの言葉もまた、思いがけず「囲い込み」にたどり着くのです。
参考にした資料
- Etymonline「garden(語源)」 https://www.etymonline.com/word/garden
- Wiktionary「Proto-Germanic *gardô(garden / yard / garth の祖形)」 https://en.wiktionary.org/wiki/Reconstruction:Proto-Germanic/gard%C3%B4
- 語源由来辞典「庭/にわ」 https://gogen-yurai.jp/niwa/
- コトバンク「庭(にわ)」 https://kotobank.jp/word/%E5%BA%AD-110743
── この章は、蔵書「庭の人文誌」の一冊です。
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