鶴見川、暴れ川を流域でなだめる
流域思考を、抽象的な理念から現実の川の物語へと引き降ろしてみます。かつて暴れ川として人びとを苦しめてきた鶴見川は、流域全体をひとつの単位として捉え直すことで、どのように治められ、人びとの手に取り戻されていったのでしょうか。
blog流域思考を、抽象的な理念から現実の川の物語へと引き降ろしてみます。かつて暴れ川として人びとを苦しめてきた鶴見川は、流域全体をひとつの単位として捉え直すことで、どのように治められ、人びとの手に取り戻されていったのでしょうか。
blog流域を単位に世界を見るという発想は、岸由二ひとりの発明ではありません。地球の反対側のアメリカ西海岸でも、たがいを知らないまま、ほぼ同じ時代に、よく似た考えを育てた人びとがいました。バイオリージョナリズムとは、どんな思想だったのでしょうか。
blog第V部では近代の治水が川と人とを引き離していった道のりを見ました。ここから第VI部では、流域をただの地理ではなく、世界を見るためのものさしとして捉え直した人びとの系譜をたどります。流域思考は、どこから来てどこへ向かうのでしょうか。
blog第V部の最後に、近代の治水と引き換えに失われたものの正体を見きわめます。それは景色や情緒だけの話ではありません。氾濫原という、川と陸のあいだで豊かないのちを育んでいた生態系。その揺らぎが消えたとき、何が失われたのでしょうか。
blog連続堤で締め切った近代の治水は、戦後、さらに徹底されていきます。山あいには巨大なダムが立ち上がり、都市の川はコンクリートの三面張りに。安全という達成と引き換えに、川というものは、暮らしの視界から、なぜ静かに消えていったのでしょうか。
blog日本の川の歴史には、はっきりとした曲がり角があります。1896年の河川法です。あふれを織りこむ時代から、あふれさせない時代へ。切れ目のない連続堤で川を河口まで締め切ったとき、川と暮らしのあいだのにじむ境界は、どう変わったのでしょうか。
blogここから第V部に入ります。近代の治水が始まる前、日本の人びとは、あふれることを織りこんで川とつきあっていました。締め切らない堤、囲って守る家、暮らしのまんなかにあった川。変わる前のその風景は、私たちに何を伝えているのでしょうか。
blogため池も番水も、村のなかで与えられた水をどう分かち合うかの知恵でした。明治の京都を生まれ変わらせた琵琶湖疏水は、発想が違います。山をトンネルで貫き、湖の水を都へ運んでくる。それは、水と人との付き合いの、何を変えたのでしょうか。
blog琵琶湖の西岸、滋賀県高島市の針江。この村の家々には、台所の一角に、こんこんと水の湧く小さな泉があります。村が生水(しょうず)と呼ぶこの泉のある暮らしは、水を分かち合うということに、いったいどんな答えを見せてくれるのでしょうか。
blogため池や川から引いた水を、どの田に、いつ、どれだけ流すのか。日本の村のいちばん細やかな知恵と、いちばん激しい争いは、ここにありました。番水や井組という水を分ける掟は、水は誰のものかという問いに、どんな答えを出してきたのでしょうか。