いのちの、めぐりへ。庭と流域、環を閉じる
「庭の人文誌」と「流域の人文誌」、二つの蔵書を通して、私たちはずいぶん遠くまで歩いてきました。囲い込みから、囲いをほどくへ。所有から、帰属へ。このぐるりと長い旅は、最後に、いったいどこへたどり着いたのでしょうか。
blog「庭の人文誌」と「流域の人文誌」、二つの蔵書を通して、私たちはずいぶん遠くまで歩いてきました。囲い込みから、囲いをほどくへ。所有から、帰属へ。このぐるりと長い旅は、最後に、いったいどこへたどり着いたのでしょうか。
blog文明の大河から、神話の聖なる川、村の用水、国の流域治水まで、ずいぶん遠くまで旅をしてきました。けれど伝えたかったことは、とても近いところに。台所の蛇口をひねると流れ出てくるあの水は、いったい、どこから来たのでしょうか。
blog流域治水を、ひとことで言えば「みんなで、水を受ける」という考え方です。これまで水を防ぐのは、おもに川を管理する人びとの仕事でした。その仕事を流域に住むみんなで分かち合うとき、水を防ぐのは、いったい誰の仕事になるのでしょうか。
blogいよいよ最後の第VIII部です。個人や地域の実践として育ってきた「自然を生かし、水を受け止める」という思想が、二十一世紀に入って国の計画の言葉になりはじめました。言葉が公式の計画に載るとは、どういう出来事なのでしょうか。
blog手のひらほどの庭の、雨の小さなくぼみと、国土ぜんたいの治水とが、グリーンインフラという言葉のなかで、同じひとつの思想の両端として結ばれます。小さな庭から大きな流域へ、そのスケールの橋は、いったいどのように架かるのでしょうか。
blog冬になると、はるか北のシベリアから、マガンが海を越えてやってきます。人が米をつくってきた、ふつうの田んぼが、その渡り鳥を養う湿地によみがえる。農業と、防災と、生き物の保全とは、対立せずに、たがいを支え合えるのでしょうか。
blog近代の治水は、川を堤防で締め切り、あふれる余地を、なくしていきました。いま世界の各地では、その流れを逆向きに巻き戻し、川にもう一度、あふれてよい空間を返そうとする動きが起きています。それは、いったい、なぜなのでしょうか。
blog森や湿地や干潟といった自然は、それと意識されないところで、私たちを災害から守っています。コンクリートで自然をねじ伏せるのではなく、その生態系のはたらきを防災の味方にするEco-DRRとは、いったいどんな考え方なのでしょうか。
blogこれまでの流域思考は、川を治め、谷を残す知恵でした。ここへ来て、その思考はもっと切実な問いへと開きます。気候が変わり、雨の降り方そのものが激しくなる時代に、私たちはどの流域に帰属して、生きのびるのでしょうか。
blog前回は都市の大河、鶴見川を流域として治める物語でした。今回は舞台を、小さな谷へと移します。源の森から、湿地、干潟、そして海まで。ひとつの川の流域が、まるごとひとつながりに残された小網代の森は、何を私たちに教えてくれるのでしょうか。